「イオンモール東久留米」の版間の差分

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== 開店までの経緯 ==
かつてこのにはもとは[[第一勧業銀行]]ひばりヶ丘グラウンドあった。このさらに周辺には[[三和銀行]]や[[熊谷組]]のグラウンド<ref>[[熊谷組野球部]]の寮もあった</ref>、[[古河機械金属]]の社宅とグラウンドなど、伝統ったる企業の福利厚生施設多く集中していた。しかし現在はいずれも閉鎖転売された後に再開発され、住宅地やマンションに再開発されたとなっている<ref>イオンモール東久留米停留所も開業前まで「古河団地」の名前を残していた。また、「イオンモール東久留米南」停留所もモール開業前は「グランド前」と称した。</ref>。それらの中で最後に残った旧第一勧業銀行グラウンドであったが、土地を所有する[[中央不動産]]<ref>[http://www.chuo-fudosan.co.jp/company/article.html 中央不動産の保有・管理物件] に「ひばりヶ丘施設」として当地が掲載されている。</ref>がこの地にイオンを誘致し大型ショッピングセンターを設置する計画が2004年頃に持ち上がった<ref name="sentaku201107">[http://www.sentaku.co.jp/category/economies/post-1726.php イオン「ゴリ押し出店」に非難囂々] - 選択 2011年7月号、2012年10月23日閲覧</ref>。
 
東久留米市は当時の市長である野崎重弥が3億円の市税収入を見込んで積極的な誘致姿勢を示した<ref name="sentaku201107"/>。周辺道路の渋滞<ref>2004年当時は都市計画道路が未完成で所沢街道以外の主要道路もなく、また敷地北側の五小通りは歩道もろくになく、バスと乗用車のすれ違いもしにくい箇所も多かった(選択2011年7月号)。</ref>や騒音、住環境の悪化、商店街への影響を懸念して反対する住民も少なくなく<ref name="sentaku201107"/><ref>[http://www.city.higashikurume.lg.jp/kensaku/sisei/tosikeikaku/pdf/2012m5/m5_03.pdf 南沢五丁目地区地区計画についてのご意見のまとめ] - 東久留米市ホームページ 2012年10月23日閲覧。本文書では賛成意見56件に対し反対意見85件となっていた。</ref><ref>[http://www.city.higashikurume.lg.jp/kensaku/sisei/tosikeikaku/m5_keikaku_keii.html 南沢五丁目地区の地区計画について> 地区計画の策定までの経緯]- 東久留米市ホームページ 2012年10月23日閲覧。同ページ内の[http://www.city.higashikurume.lg.jp/kensaku/sisei/tosikeikaku/pdf/2012m5/2011_m5ikensyo.pdf 意見書の要旨と市の見解]には、賛成4通に対し反対が258通にも上った。</ref>、市議会や市民の間でも賛否が分かれることとなった。