「ルフトハンザ航空181便ハイジャック事件」の版間の差分

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アデンを発ったランツフート号は、[[10月17日]]の朝03時30分([[協定世界時|UTC]])、[[ソマリア]]の[[モガディシュ]]にあるモガディシュ国際空港(現在の[[アデン・アッデ国際空港]])に着陸した。機内で殺害されたユルゲン・シューマン機長の遺体は滑走路上に投げ捨てられ、RAFメンバーの釈放の最終期限は14時30分(UTC)とされた。機内ではハイジャック犯らが爆発物を確認し、乗客達に酒を飲ませて期限に備えていたが、西ドイツ当局から「一人を釈放しモガディシュに向かわせているので数時間待ってほしい」と聞かされたハイジャック犯達は、最終期限を翌[[10月18日]]00時30分(UTC)に延長した。
[[File:Siad_Barre.png|thumb|220px|left|モハメド・シアド・バーレ大統領]]
しかし、[[ドイツ社会民主党]]の[[ヘルムート・シュミット]]首相率いる西ドイツ政府は、過去にテロリストの要求に応じた時とは異なり、ハイジャック犯と交渉しつつもその要求に一切応じることはせず、実力による事態打開を模索していた。[[ミュンヘンオリンピック事件]]を機に創設された[[特殊部隊]]・[[GSG-9]]のコマンド部隊が、ランツフート号が[[キプロス]]にいた時点から、ヴィシュネヴスキー全権特使とともにランツフート号の行く先へと移動し待機していた。シュミット首相はソマリアの[[モハメド・シアド・バーレ]][[ソマリアの大統領一覧|大統領]]との政治交渉の結果、GSG-9を投入する承認を得た。バーレ大統領は、かつては[[社会主義]]者であったものの、[[ソビエト連邦]]をはじめとする[[東側諸国]]との対立の中で[[西側諸国]]への接近に転じていた。
 
しかし[[ドイツ社会民主党]]の[[ヘルムート・シュミット]]首相率いる西ドイツ政府は、過去にテロリストの要求に応じた時とは異なり、ハイジャック犯と交渉しつつもその要求に一切応じることはせず、実力による事態打開を模索していた。[[ミュンヘンオリンピック事件]]を機に創設された[[特殊部隊]]・[[GSG-9]]のコマンド部隊が、ランツフート号が[[キプロス]]にいた時点から、ヴィシュネヴスキー全権特使とともにランツフート号の行く先へと移動し待機していた。シュミット首相はソマリアの最高権力者[[モハメド・シアド・バーレ]]との政治交渉の結果、GSG-9を投入する承認を得て、ソマリア軍と[[イギリス陸軍]]の[[特殊空挺部隊|SAS]]の協力の下でマジック・ファイヤー救出作戦(''"Operation Feuerzauber"'')を開始した。この作戦の立案や特殊な機材の提供にはSASからの2名が関与したが、突入部隊はすべてGSG-9隊員で構成された。
 
期限切れ直前の10月17日23時05分(UTC、現地時間ではすでに10月18日未明)、ソマリア軍のレンジャー部隊隊員が空港を取り囲む中、SAS隊員2名が新型の[[閃光弾]]を爆発させて救出作戦は始まった。隊長のウルリッヒ・ヴェゲナー(Ulrich Wegener)に率いられ[[H&K MP5]]([[短機関銃]])を装備したGSG-9隊員が胴体下と主翼上の非常脱出口から突入し、閃光弾でハイジャック犯の目をくらませ3人を射殺し、1人(女、Souhaila Andrawes)を[[逮捕]]し、人質の乗客達を機内から脱出させた。この突入での損害はGSG-9隊員1名と[[スチュワーデス]]1名が軽傷を負っただけであり、無事だった乗員乗客のほとんどは数時間後にフランクフルト行きの特別機に乗った[https://web.archive.org/web/20061108102845/http://www.defence-net.com/magazin/191.html]。