「イラン航空655便撃墜事件」の版間の差分

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: エルマー・モンゴメリーを支援するため、ヴィンセンス搭載の[[SH-60 シーホーク#LAMPSヘリコプター(SH-60B シーホーク)|SH-60B]] [[LAMPS]][[ヘリコプター]]を派遣する<ref name="大熊2011"/>。
; 9時15分
: ヴィンセンスから派遣されたSH-60Bがイラン軍戦闘艇から射撃を受けたため、ヴィンセンスは現場に急行、サイズも近隣に移動する<ref name="大熊2011"/>。
; 9時41分
: 中東機動部隊司令官の許可を得て、エルマー・モンゴメリーおよびヴィンセンスが[[艦砲]]によりイラン軍戦闘艇との交戦を開始した。イラン軍戦闘艇は反撃しつつ、北方のイラン領海に向けて後退した<ref name="大熊2011"/>。
: ヴィンセンスの51番砲(艦首側)が装弾不良となり、以後は艦尾側の52番砲の射界を確保するため全力航走しつつ急激な転舵を繰り返した。これにより、ヴィンセンスの戦闘指揮所内は物品や資料が散乱し、大混乱に陥った。オペレーターは操作への習熟が不十分であり、コンソール・キーの誤操作回数は計23回におよんでいた。また交戦中に、ヴィンセンスはイラン領海に侵入しており、これを根拠としたイラン軍からの攻撃を受ける懸念があった<ref name="大熊2011"/>。
; 9時51分
: ヴィンセンスの艦長は中東機動部隊司令官に対して「イラン軍F-14戦闘機」(実際は655便)の接近を報告した。この時点で距離は{{Convert2|28マイル|mi|km}}であり距離{{Convert2|20マイル|mi|km}}まで接近した場合は攻撃する旨報告し、司令官もこれを了承した<ref name="大熊2011"/>。
: 以後、ヴィンセンスは655便に軍事遭難信号 (MAD) と国際航空遭難信号 (IAD) により警告したが、民間機であるイラン航空機にはMAD受信機は装備されておらず、パイロットはIADをモニターしていなかったか、モニターしていたとしても警告の内容は針路、対地速度、飛行高度程度の情報のみで便名や航空会社名すら含まれない漠然とした警告であり、655便が自機に対するものであると受け止めていなかった可能性が考えられている<ref name="大熊2011"/>。ただし、[[ブラックボックス (航空)|ブラックボックス]]は両方とも回収できなかったため詳細は今{{いつ|date=yyyy年m月}}も不明である<ref>[http://www.iranchamber.com/history/articles/shootingdown_iranair_flight655.php Shooting Down Iran Air Flight 655]、Iran Chamber Society, 2004年、[[2014年]][[9月27日]]閲覧</ref>。
: ヴィンセンスは高速で接近しつつある655便が民間機であるか、それとも警備艇をおとりとした共同作戦に参加する軍用機であるか判断がつきかねる状況に陥った。ヴィンセンスの西方160海里付近にはイラン空軍の哨戒機[[P-3 (航空機)|P-3F]]が洋上偵察任務を続けていたこともあり、ヴィンセンスの首脳部は「戦闘艇、F-14、P-3Fが連携した空海共同作戦である」との思い込みを元にした誤ったシナリオを信ずるに至った。エルマー・モンゴメリーおよびサイズでは目標を民間機と識別していたが、イージスシステム搭載のヴィンセンスは両艦よりも良質の情報を得ているものと判断してしまった<ref name="大熊2011"/>。
; 9時53分
 
===犠牲者===
イラン当局が[[国際司法裁判所]]へ提出した資料によると、655便に搭乗していたのは乗客274名、乗員16名である。搭乗者うち国籍はイラン人254名(乗員全員を含む)、[[アラブ首長国連邦]]人13名、[[インド]]人10名、[[パキスタン]]人6名、[[ユーゴスラビア]]人6名、そして[[イタリア]]人が1名であった<ref>Islamic Republic of Iran. [http://www.icj-cij.org/docket/files/79/6629.pdf Memorial of the Islamic Republic of Iran in the Case Concerning the Aerial Incident of 3 July 1988 (Islamic Republic of Iran v. United States of America)]. p. 15. 24 July 1990.</ref>。
 
=== 事件後の反応 ===
 
; 補償
: [[1996年]][[2月22日]]、アメリカは撃墜によるイラン人犠牲者248人に対する補償費6,180万ドルの支払いに同意し、事実上自国軍の非を認めた形となった。ただし3,000万ドル以上と見積もられる航空機自体の補償は現在{{いつ|date=yyyy年m月}}に至るまでなされていない。
 
== 映像化 ==