「雲母坂」の版間の差分
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== 概要 ==
[[音羽川 (京都市)|音羽川]]沿いの住宅街を抜けた先にかかる雲母橋が登山口で、[[親鸞]]ゆかりの石碑<ref name="oji">{{Cite book|和書 |author = 三浦隆夫 |year = 1995 |title = 続・京都の大路小路 |publisher = 小学館 | pages=116-117 | chapter=雲母坂 | others=千宗室、森谷
坂の名である「雲母」の由縁は、京都市中から見ると、この坂から雲が生じるように見えるためである<ref name="oji" /><ref name="zue" /><ref name="kyokotoba" />が、この坂に雲母が含まれる[[花崗岩]]由来の砂が多いためという説<ref name="oji" /><ref name="zue" />もある。同じく行者道の一部であった[[京都市]][[左京区]][[一乗寺 (京都市)|一乗寺]]の[[曼殊院道]]([[京都府道104号高野修学院山端線|府道104号]]部分)、あるいは[[曼殊院]]参道が「雲母坂」であるとする説もあり、いずれも[[舗装]]前は同様の地質であった{{要出典|date=2018年5月}}。また、雲母坂は、登山口近くに不動明王を祀る[[雲母寺]](うんぼじ){{Refnest|group="注釈"|明治時代に廃寺となった<ref name="oji" />。}}があったため「不動坂」とも<ref name="zue" />、朝廷から[[延暦寺]]まで勅使が向かう際に利用したことから「勅使坂」「表坂」とも<ref name="oji" /><ref name="zue" />呼ばれた。
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