「神風特別攻撃隊」の版間の差分

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| [[護衛駆逐艦]] || DE || 1隻 || 1隻|| 24隻
|-
| [[掃海そ]]駆逐艦 || DM || 2隻 || 7隻|| 26隻
|-
| 輸送駆逐艦 ||APD || 4隻 || 3隻|| 17隻
 
日本軍はアメリカ軍のレーダーピケットラインを寸断するために、レーダーピケット艦を優先攻撃目標の一つとしており、また出撃した特攻機もアメリカ軍の大量の迎撃機に阻まれて、最初に接触するレーダーピケット艦を攻撃することが多く<ref>{{Harvnb|吉本貞昭|2012|p=195}}</ref>、その消耗は激しかった<ref>{{Harvnb|オネール|1988|p=186}}</ref>。ニミッツは[[アーネスト・キング]][[アメリカ海軍作戦部長|海軍作戦部長]]に「直衛艦艇と哨戒艦艇を1隻ずつ狙い撃ちにする特攻機により、現在受けつつあり、また将来加えられると予想される損害のため、スプルーアンスとターナーは2人とも、(アメリカ軍が)投入可能な駆逐艦及び護衛駆逐艦全てを太平洋に移動する必要がある点を指摘している」と請願し<ref>{{Harvnb|ウォーナー|1982b|p=203}}</ref>、[[ドイツ海軍]]の[[Uボート]]を制圧していた[[大西洋の戦い (第二次世界大戦)|大西洋]]の駆逐艦や護衛駆逐艦が続々と沖縄に派遣された<ref>{{Harvnb|ボールドウィン|1967|p=431}}</ref>。アメリカ軍は、レーダーピケット艦が沈められた時に生存者の救出を図るため、レーダーピケット艦の周りを小型艇でびっしりと囲ませていた。そのような小型艦艇は「[[棺桶]]の担い手」と呼ばれ、実際に、特攻で粉砕されたレーダーピケット艦の生存者を救出し、遺体を収容している<ref>{{Harvnb|アレン|ボーマー|1995|p=137}}</ref>。
 
特攻により生じた大量の損傷艦のために慶良間列島の泊地は常に満杯であり、損傷艦は[[工作艦]]により応急修理がなされると、随伴艦と一緒に群れを成して太平洋を横断してアメリカ本国に帰還した<ref>{{Harvnb|ボールドウィン|1967|p=431}}</ref>。特攻による損傷艦の中には、護衛空母「[[スワニー (護衛空母)|スワニー]]」のように、艦設計の際に考慮されていなかった程の甚大な損傷を負った艦や<ref>{{Harvnb|ウォーナー|1982a|p=208}}</ref>、正規空母「[[バンカーヒル (空母)|バンカーヒル]]」のように、[[ピュージェット・サウンド海軍工廠]]で修理を受けた艦船の中では最悪の損傷レベルと認定された艦もあった<ref>{{Harvnb|ウォーナー|1982b|p=166}}</ref>。甚大な損傷を負った艦の中には、修理不能と診断されてそのままスクラップとなった艦も少なくない<ref>{{Harvnb|ロット|1983|p=277}}</ref>。
 
レーダーピケット艦は特攻機を早期発見するという本来の任務のほかに、結果的に特攻機を引き付ける役割となってしまい、特攻機は何度もレーダーピケット艦に対する攻撃に集中し、大破して沈没寸前の艦にまで執拗に体当たりを繰り返した<ref>{{Harvnb|オネール|1988|p=184}}</ref>。特にレーダーピケットラインの中枢で、「[[ブリキ]]缶」「スモールボーイ」などの俗称で呼ばれていた駆逐艦の損害は大きく<ref>{{Harvnb|ボールドウィン|1967|p=426}}</ref>、「まるで[[射的]]場の標的の様な形で沖縄本島の沖合に(駆逐艦が)配置されている」と皮肉を言われるほどで<ref>{{Harvnb|ファイファー|1995|p=351}}</ref>、やけになった駆逐艦の乗組員が、駆逐艦の艦尾に大きな矢印をつけて「日本の特攻隊員よ、空母はこの方向です!」と示したほどだった<ref>{{Harvnb|オネール|1988|p=184}}</ref>。
 
特攻の高い有効性について、アメリカ海軍は下記のように分析していた<ref name="HyperWar">{{Cite web |url=http://www.ibiblio.org/hyperwar/USN/rep/Kamikaze/AAA-Summary/AAA-Summary-1.html |title=ANTIAIRCRAFT ACTION SUMMARY SUICIDE ATTACKS 1945 april |language=英語 |accessdate=2018-01-17}}</ref>。
# '''特攻は、アメリカ軍艦隊が直面した最も困難な対空問題である。'''
# '''今まで有効であった対空戦術は特攻機に対しては機能しな効果が無い。'''
# '''特攻機は撃墜されるか、激しい損傷で操縦不能とならない限りは、目標を確実に攻撃する。'''
# '''操縦不能ではない特攻機は、回避行動の有無に関わらず、あらゆる大きさの艦船に対して事実上100%命中できるチャンスがある。'''
 
また、特攻が通常の航空機による攻撃より優れている点として[[イラスト]]付きで下記を挙げている。(画像参照)<ref>United States Navy ACTION REPORT FILM CONFIDENTIAL 1945 MN5863 『Combating suicide plane attacks』1945年アメリカ海軍航空局作成</ref>。
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File:Combating suicide plane attacks.png|thumb|'''1.特攻機は片道攻撃で帰還を考慮しなくていいため、攻撃距離が長い。<br />2.パイロットが突っ込む直前まで操縦できるため、命中率が高い。<br />3.特攻機パイロットは精神的に強靱である。<br />4.特攻機は機体自体が搭載している航空燃料で強力な[[焼夷弾]]になる。'''</gallery>
 
特攻の定義や用いられた資料により、出撃回数・出撃機数・帰還機数・戦果といった算定は変わる{{sfn|青木秀男|2008|p=75}}。日本側の研究では「出撃総数約3,300機、敵艦船への命中率11.6%、至近突入5.7%、沈没32隻、損傷368隻」とする説{{sfn|青木秀男|2008|p=75}}<ref>服部省吾「第四章第六節 特攻作戦」奥村房夫監修『近代日本戦争史第四編大東亜戦争』1995年、590頁</ref>、「出撃機数2,483機、[[成功|奏功]]率16.5%、被害敵艦数358隻」とする説などがある{{sfn|青木秀男|2008|p=75}}<ref>生田惇『陸軍航空特別攻撃隊史』1977年、223頁</ref>{{sfn|国史大辞典編集委員会|2013|p=570}}。
:: 敵艦を発見したら、まず20度以下の浅い速度で近づいた。いきなり急降下すると身体が浮いて操縦が難しくなったり、過速となり舵が効かなくなる危険性があった<ref>{{Harvnb|中島正|猪口力平|1984|p=106}}</ref>。敵艦に接近したら高度1,000m - 2,000mを突撃点とし、艦船の致命部を照準にして角度35度 - 55度で急降下すると徹底された。艦船の致命部というのは空母なら前部リフト、戦闘艦なら艦橋もしくは船首から長さ{{分数|1|3}}くらいの箇所であったが、これは艦船に甚大な損傷を与えられるだけでなく、攻撃を避けようと旋回しようとする艦船は、転心<ref group="注">船が回頭する際の軸。前進中ならば船首から船の重心までの距離の約{{分数|1|3}}にあたる</ref>を軸にして回るため、その転心が一番動きが少ない安定した照準点とされた<ref>{{Harvnb|特攻の記録|2011|loc=pp.360, 363 表3・表4}}</ref>。
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File:Figure of attack of kamikaze No1.png|thumb|もっとも基本的な突入法、まず浅い角度で接近し敵艦を攻撃線上に収めて急降下、敵艦が攻撃線上から外れた場合、一旦機首を引き上げ、再度敵艦を攻撃線上に収めて突入
File:Figure of attack of kamikaze No2.png|thumb|1度の急降下で敵艦を攻撃線上に収められた場合
File:Figure of attack of kamikaze No4.png|thumb|雲に隠れながら目標に接近し、雲の合間から深い角度で突入できる場合
File:Figure of attack of kamikaze No1.png|thumb|急降下後に目標が攻撃線上に入らなかった場合は、一度水平飛行に戻し再度急降下して突入
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:'''低高度接敵法'''
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File:Figure of attack of kamikaze No9.png|thumb|帰還する敵艦載機に紛れて接近しレーダー探知を回避する場合(丸で囲まれているのが特攻機)
File:Figure of attack of kamikaze No6.png|thumb|支援隊と特攻機隊が、別方向から敵艦隊に突入し、支援隊が敵艦の対空砲火を引きつけている間に特攻機が突入する「時間差攻撃」の場合
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=== 特攻機の破壊力 ===
特攻に主に使われた零戦は元より空戦用にできているため急降下すると機首が浮き上がり、速度で[[舵]]も鈍くなるため正確に突入するのが困難という意見もあり<ref>{{Harvnb|神立尚紀|2004|p=193}}</ref>、沖縄戦時の菊水作戦中に第5航空艦隊参謀に就任していた中島正中佐が出撃する特攻隊員に「ダイブ(急降下)角は45度」という訓示をしているが、中島の訓示の後に[[第七二一海軍航空隊]]の林富士夫大尉が「中島中佐は自分が飛ばないからわからない。高い角度のダイブで突入することは不可能で、せいぜい20~30度である。突入は舷側を狙え」と中島の指示を訂正している<ref>{{Harvnb|神立尚紀|2015|p=321}}</ref>。
 
突入角度が浅いと、特攻機の爆弾が敵艦を貫通しないケースも少なからずあった。特攻の戦果確認機からの過大戦果報告に疑念を感じていた[[軍令部]]次長大西が、[[海軍航空技術廠|第一航空技術廠]]長の多田力三中将に特攻の効果についての実験を要請している。その要請を受けて、第一航空技術廠と[[横須賀海軍航空隊]]は1945年5月に協同で、250kg爆弾を搭載した無人の零戦をカタパルトで射出し、様々な角度で鋼板に衝突させる実験を行った。その結果、30度以上の角度では爆弾も機体も鋼板を貫通するが、30度未満の角度では鋼板の上を滑って機体も爆弾も跳躍してしまうことが判明した。この実験結果を見て大西は、搭乗員の心理作用で突入角度が浅くなって、結果的に特攻機が敵艦を貫通できないケースがあることを認識している<ref>{{Harvnb|日本海軍航空史1|1969|p=489}}</ref>。
 
突入角度に加えて速度についても、戦後にアメリカ軍から「適切な角度で行えば通常の爆撃より速度が速い」という分析はされているものの<ref>{{Harvnb|米国戦略爆撃調査団|1996|p=185}}</ref>、上記の通り命中寸前まで機体を操縦可能という、特攻特有の利点を活かして、多種多様な角度で特攻機が命中しており、航空機による通常攻撃と比較し抜群に高い有効性を確保していたが<ref group="注">第二次世界大戦中におけるアメリカ軍の駆逐艦の撃沈破艦の約半数が、大戦末期にわずか10ヶ月間の特攻による損害であった。</ref>、一方で、浅い角度で突入した場合は、重力による加速が深い角度で突入した場合と比べると劣るため、平均的な命中速度は通常の爆撃の投下爆弾よりは遅かった<ref>{{Harvnb|Destroyer Report|1945|p=9}}</ref>。従って、特攻による艦内部の破壊は平均すると通常の航空攻撃(魚雷攻撃を含む)よりも少なく、駆逐艦においては、通常の航空攻撃(魚雷攻撃を含む)での被害艦の沈没比率は28.9%であったが、特攻による沈没率は13.7%と約半分であった<ref>{{Harvnb|Destroyer Report|1945|p=9}}</ref>。
 
しかし、沖縄戦で富安俊助中尉が搭乗する零戦が空母「エンタープライズ」を大破させたときの最終突入確度は50度に達しており、深い角度で突入した事例もある<ref>{{Harvnb|菅原|2015|p=255}}</ref>。一方で、フィリピンにおいて護衛空母「セント・ロー」に命中した敷島隊の零戦は、まるで着艦でもする様な高度(30m)で接近してきてそのまま時速480km/hで浅い角度で体当たりしたが<ref>Dogfights - Episode 12: Kamikaze (History Documentary)セント・ローの乗組員(電気技師)オービル・ビサード証言</ref>、搭載爆弾は甲板を貫通、格納庫で爆発し、燃料や弾薬を誘爆させ合計7回の爆発を経た後に、特攻機命中からわずか32分後に爆沈した<ref>{{Cite web |url=http://www.dondennisfamily.com/USS_St_Lo/samar/actionreport9.html |title=Battle off Samar - Action Report |language=英語 |accessdate=2018-09-06}}</ref>ように、突入角度が浅かったり、速度が遅くても敵艦に深刻な損害を与えた事例も多く、一概に突入角度や速度だけが敵艦に与える損害を決定する要素とはならない。
しかし、特攻による損害は被害艦を沈没まで至らせなくても重篤になることが多く、特に航空燃料による激しい火災は、特攻機の激突や爆弾に加えて艦の損傷を拡大させ、多くの人員に重篤な火傷を負わせて戦闘不能にさせ、適切な消火に失敗すると艦を再起不能の損傷に至らせている<ref>{{Harvnb|Destroyer Report|1945|p=286}}</ref>。一方で、第二次世界大戦末期のアメリカ軍は、それまでの戦闘経験により[[ダメージコントロール]]が格段に進歩しており、特攻による撃沈率を低減させるに成功している。例えば、硫黄島の戦いで海軍の第二御楯隊が大破させた正規空母「[[サラトガ (CV-3)|サラトガ]]」の損傷具合は、太平洋戦争初期に[[珊瑚海海戦]]で沈没した「[[レキシントン (CV-2)|レキシントン]]」より遙かに深刻であったと、両艦のいずれの被爆時にも乗艦していたパイロットのV・F・マッコルマック少佐が証言しているなど、大戦初期や中期においては放棄されたような状況の艦ですら救われることが多くなっていた<ref>{{Harvnb|冨永|安延|1972|p=104}}</ref>。
 
また、特攻による損害は被害艦を沈没まで至らせなくても重篤になることが多く、特に航空燃料による激しい火災は、特攻機の激突や爆弾に加えて艦の損傷を拡大させ、多くの人員に重篤な火傷を負わせて戦闘不能にさせ、適切な消火に失敗すると艦を再起不能の損傷に至らせている<ref>{{Harvnb|Destroyer Report|1945|p=286}}</ref>。そのため、特攻機は爆弾を搭載していなくとも、極めて強力な焼夷弾となったと評している<ref>United States Navy ACTION REPORT FILM CONFIDENTIAL 1945 MN5863 『Combating suicide plane attacks』1945年アメリカ海軍航空局作成</ref>。沖縄戦においては、特攻により生じた大量の損傷艦のために慶良間列島の泊地は常に満杯であり、損傷艦は[[工作艦]]により応急修理がなされると、随伴艦と一緒に群れを成して太平洋を横断してアメリカ本国に帰還した<ref>{{Harvnb|ボールドウィン|1967|p=431}}</ref>。特攻による損傷艦の中には、護衛空母「[[スワニー (護衛空母)|スワニー]]」のように、艦設計の際に考慮されていなかった程の甚大な損傷を負った艦や<ref>{{Harvnb|ウォーナー|1982a|p=208}}</ref>、正規空母「[[バンカーヒル (空母)|バンカーヒル]]」のように、[[ピュージェット・サウンド海軍工廠]]で修理を受けた艦船の中では最悪の損傷レベルと認定された艦もあった<ref>{{Harvnb|ウォーナー|1982b|p=166}}</ref>。甚大な損傷を負った艦の中には、修理不能と診断されてそのままスクラップとなった艦も少なくない<ref>{{Harvnb|ロット|1983|p=277}}</ref>。
沖縄戦で富安俊助中尉が搭乗する零戦が空母「エンタープライズ」を大破させたときの最終突入確度は50度に達しており、深い角度で突入した事例もある<ref>{{Harvnb|菅原|2015|p=255}}</ref>。一方で、フィリピンにおいて護衛空母「セント・ロー」に命中した敷島隊の零戦は、まるで着艦でもする様な高度(30m)で接近してきてそのまま時速480km/hで浅い角度で体当たりしたが<ref>Dogfights - Episode 12: Kamikaze (History Documentary)セント・ローの乗組員(電気技師)オービル・ビサード証言</ref>、搭載爆弾は甲板を貫通、格納庫で爆発し、燃料や弾薬を誘爆させ合計7回の爆発を経た後に、特攻機命中からわずか32分後に爆沈した<ref>{{Cite web |url=http://www.dondennisfamily.com/USS_St_Lo/samar/actionreport9.html |title=Battle off Samar - Action Report |language=英語 |accessdate=2018-09-06}}</ref>ように、突入角度が浅かったり、速度が遅くても敵艦に深刻な損害を与えた事例も多く、一概に突入角度や速度だけが敵艦に与える損害を決定する要素とはならない。
しかし、特攻による損害は被害艦を沈没まで至らせなくても重篤になることが多く、特に航空燃料による激しい火災は、特攻機の激突や爆弾に加えて艦の損傷を拡大させ、多くの人員に重篤な火傷を負わせて戦闘不能にさせ、適切な消火に失敗すると艦を再起不能の損傷に至らせている<ref>{{Harvnb|Destroyer Report|1945|p=286}}</ref>。一方で、第二次世界大戦末期のアメリカ軍は、それまでの戦闘経験により[[ダメージコントロール]]が格段に進歩しており、特攻による撃沈率を低減させるに成功している。例えば、硫黄島の戦いで海軍の第二御楯隊が大破させた正規空母「[[サラトガ (CV-3)|サラトガ]]」の損傷具合は、太平洋戦争初期に[[珊瑚海海戦]]で沈没した「[[レキシントン (CV-2)|レキシントン]]」より遙かに深刻であったと、両艦のいずれの被爆時にも乗艦していたパイロットのV・F・マッコルマック少佐が証言しているなど、大戦初期や中期においては放棄されたような状況の艦ですら救われることが多くなっていた<ref>{{Harvnb|冨永|安延|1972|p=104}}</ref>。アメリカ軍は、特攻により大量の損傷艦が生じたのを振り返って、艦艇が沈没までは至らなくとも、多くの場合は修理のためにアメリカ本国の[[造船所]]に帰還せねばならず、作戦上の損失は大きかったと結論づけている<ref>United States Navy ACTION REPORT FILM CONFIDENTIAL 1945 MN5863 『Combating suicide plane attacks』1945年アメリカ海軍航空局作成</ref>。
 
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