「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」の版間の差分

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[[1960年]]には、[[ニーナ・シモン]]が同年夏のフェスティバルの[[演奏会|ライブ]]を録音したアルバム「[[:en:Nina Simone At Newport|At Newport]]」を発表した。
 
その一方で、この年は音楽に夢中になり荒れ狂ったファンが大騒ぎを起こし、[[州兵]]が会場に呼ばれる事態となってしまった。この騒動によってフェスティバルは中止の危機に追い込まれた。日曜の午後の[[マディ・ウォーターズ]の演奏後、フェスティバル会場で会議をしていた詩人の[[ラングストン・ヒューズ]]にこの情報が伝えられると、ヒューズは即興で“Goodbye Newport Blues”という歌詞を書き、ウォーターズのステージに持ち込んだ。そして、このを使った即興演奏がウォーターズのバンドによって披露されると自らステージ・アナウンスを行ったのだった。ヒューズの詞は、ウォーターズのピアニスト、[[オーティス・スパン]]によって歌われた。この演奏は前述のウォーターズのアルバムの最後に収録されている。
 
中止の危機にさらされながら、翌年の[[1961年]]にもフェスティバルは開催された。この年の主要な出演者には、雨で滅入っていた聴衆を"Pennies from Heaven"の演奏で喜ばせた[[デイヴ・ブルーベック]]や、[[キャノンボール・アダレイ]]などがいた。