「関行男」の版間の差分

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10月20日朝、大西が副官の門司と朝食をとっていると玉井がやってきて「揃いました」と報告し、隊の名前を「'''神風特別攻撃隊'''」と命名するよう願い出て、大西に了承された<ref>猪口力平・中島正『神風特別攻撃隊の記録』雪華社45頁</ref>。大西らが宿舎の中庭に出ると20数名の搭乗員が整列しており、右の先頭に関が立っていた。整列した特攻隊員の前には木箱が置いてあり、大西は木箱の上に立つと午前10時に特攻隊員に向けて「この体当り攻撃隊を神風特別攻撃隊と命名し、四隊をそれぞれ敷島、大和、朝日、山桜と呼ぶ。今の戦況を救えるのは、大臣でも大将でも軍令部総長でもない。それは若い君たちのような純真で気力に満ちた人たちである。みんなは、もう命を捨てた神であるから、何の欲望もないであろう。ただ自分の体当りの戦果の戦果を知ることが出来ないのが心残りであるに違いない。自分は必ずその戦果を上聞に達する。国民に代わって頼む。しっかりやってくれ。」という訓示を行った<ref>{{Harvnb|門司親徳|1978|p=282}}</ref>。
 
部隊は、[[本居宣長]]の[[大和魂]]を詠じた古歌'''「敷島の大和心を人間はば朝日に匂ふ山桜花」'''の一首より命名された「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」の4隊が編成され、この4隊から漏れた甲十期生は別途「菊水隊」へ編入された<ref name="h">[[#金子]]p.49</ref>。この時点で関はどの隊にも属せず、総指揮官として一種の独立した立場に置かれていた<ref name="h"/>。敷島隊のオリジナルメンバーは[[中野磐雄]](戦三〇一)、[[谷暢夫]](戦三〇五)、[[山下憲行]](戦三〇一)の3名で、いずれも一飛曹だった<ref name="h"/>。関と敷島・大和・朝日・山桜の各隊員と直掩隊員が二〇一空本部前に整列し、大西が隊員の前に現れて訓示を述べた握手を行った後、関と敷島・大和両隊はマバラカット西飛行場に、朝日・山桜両隊はマバラカット東飛行場それぞれ移動して出撃の時を待つ事となった<ref>[[#金子]]p.51</ref>。訓示の途中、大西の身体は小刻みに震え、顔は蒼白で引きつっていた。同席していた[[従軍記者|報道班員]]の[[日本映画社]][[稲垣浩邦]]カメラマンも撮影もせずに聞き入っていた。門司も深い感慨を覚えたが、涙が出ることは無く、行くとこまで行ったという突き詰めた感じがしたという<ref>{{Harvnb|門司親徳|1978|p=282}}</ref>。そのあと、大西は特攻隊員一人一人と握手すると再び宿舎の士官室に戻って、神風特攻隊編成命令書の起案を副官の門司に命じたが、門司はそんな命令書を作った経験もなく戸惑っていたので、大西と猪口も手伝って起案され、命令書は、連合艦隊、軍令部、海軍省など中央各所に発信された<ref>『戦史叢書56海軍捷号作戦(2)フィリピン沖海戦』114頁、金子敏夫『神風特攻の記録』(光人社NF文庫)61頁</ref>。
 
その後、関ら敷島・大和両隊はマバラカット西飛行場に、朝日・山桜両隊はマバラカット東飛行場それぞれ移動して出撃の時を待つ事となった<ref>[[#金子]]p.51</ref>。関ら敷島隊と大和隊の特攻隊員は、マバラカット西飛行場の傍を流れる[[バンバン川]]の河原で大西と談笑していたが、午後15時頃に敵艦隊を[[サマール島]]東方海面に発見したという報告が司令部に寄せられた。参謀の猪口は敵の位置を書き込んである海図を持って、関らと談笑している大西に報告に向かい、「特別攻撃隊には距離いっぱいのところですが、攻撃をかけましょうか?」と判断をあおいだところ、大西は、「この体当り攻撃は絶対のものだから、到達の勝算のない場合、おれは決して出さない」と答えている。猪口はこの大西の攻撃自重の判断を聞いて、大西が初回の特攻にどれだけ慎重であるか思い知らされたが、これ以降新しい情報もなかったため、大西は一旦マニラに帰還することとした<ref>{{Harvnb|猪口|中島|1951|loc=電子版, 位置No.918}}</ref>。帰り間際、大西は副官の門司の[[水筒]]に目を付けると「副官、水が入っているか」と尋ねたので、門司が水筒を大西に渡すと、大西はまず水筒の[[蓋]]で自ら水を飲み、次いで猪口と玉井にも水を飲ませて、その後水筒ごと玉井に手渡し、あとは玉井が並んでいる関大尉以下7名の特攻隊員に水をついでいった<ref>{{Harvnb|門司親徳|1978|p=286}}</ref>。このときの様子をカメラマンの稲垣が撮影しており、のちに内地で、8月21日の関率いる敷島隊の出撃前の様子として[[日本ニュース]]で報道されたが、実際にはその前日の出来事で、敷島隊と大和隊両隊の隊員が入っており、待機姿勢であるので服装もバラバラで、飛行服を着ているのは関と山下の2名のみ、残りの5名は防暑服を着用している<ref>{{Harvnb|森史朗|2003b|loc=電子版, 位置No.2335}}</ref>。稲垣は玉井から事前に「重大なことがあるから一緒に来るように」と呼び出されており、撮影準備をしていたのでこのシーンを撮影できたものであるが、大西は特攻隊員への訓示でも述べた通り、神風特別攻撃隊の国民への周知報道について強い拘りを持っており、この「訣別の水盃」のシーンも敢て大西が意図して撮影させたという意見もある<ref>{{Harvnb|森史朗|2003b|loc=電子版, 位置No.2335}}</ref>。その後、大西は門司とマニラに帰り、大和隊(隊長・[[久納好孚]]海軍中尉([[法政大学]]出身))は20日夕方に二〇一空飛行長[[中島正]]少佐に率いられ[[セブ島]]に移動していった<ref name="ggg">[[#金子]]p.85</ref>。
 
同日夜、[[同盟通信社]]の記者で海軍報道班員の小野田政は、関の談話を取ろうと関の部屋に入った<ref name="i">[[#森本]]p.130、133 オリジナル:[[高木俊朗]]の回顧([[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]1975年6月号)</ref>。前日の夜に隊長指名を受けた関はこの時、顔面を蒼白にして厳しい表情をしつつピストルを小野田に突きつけ、「お前はなんだ、こんなところへきてはいかん」と怒鳴ったが<ref name="i"/>、小野田が身分氏名を明かすとピストルを引っ込めた。などと作家の[[高木俊朗]]が[[文芸春秋]][[1975年]]6月号に記述し<ref>{{Harvnb|深堀道義|2001|p=278}}</ref>、その記述をもって、この行動は関が「異常な心的状況の中に身を置いていた」<ref name="j">[[#森本]]p.133</ref>が故の「異常な行動」などと分析する者もいるが<ref name="i"/>、'''これは作家の[[高木俊朗]]が書いた完全な[[フィクション]]であり、関に怒鳴られたと書かれた小野田自身にこのような記憶はなかった。戦後に、何らかの機会で高木と面談した小野田は、高木に戦時中の関に関するエピソードとして、関がフィリピンに着任して間もない頃、小野田がフィリピン人運転手に運転させていた[[セダン]]と、関ら搭乗員が乗るトラックが飛行場内で交通事故を起こし、その際に関が、見慣れぬフィリピン人運転手を[[ゲリラ]]と疑ってピストルを向けたが、小野田が報道班員という身分を明かすとすっかりと打ち解けて、そのあとは懇意になった。という体験を話したが、高木がそのエピソードを脚色したものと推定される'''<ref>{{Harvnb|深堀道義|2001|pp=278-279}}</ref>。高木は、時折、[[ノンフィクション]]風の戦記記述にフィクションを交えていることが指摘されている<ref>{{Harvnb|深堀道義|2001|p=279}}</ref>。特攻指揮官として任命さ小野田によば、その夜、関は心を許していた小野田と一緒に宿舎の外に出て、マバラカット西飛行場の傍を流れるバンバン川の畔歩くと河原の石に腰かけて次のように語った。
 
{{quotation|''' 報道班員、日本もおしまいだよ。僕のような優秀なパイロットを殺すなんて。僕なら体当たりせずとも、敵空母の飛行甲板に50番(500キロ爆弾)を命中させる自信がある。僕は[[天皇|天皇陛下]]のためとか、日本帝国のためとかで行くんじゃない。最愛のKA(海軍の隠語で妻)のために行くんだ。命令とあらば止むを得まい。日本が敗けたらKAがアメ公に強姦されるかもしれない。僕は彼女を護るために死ぬんだ。最愛の者のために死ぬ。どうだ。素晴らしいだろう。'''|関行男||マバラカット基地近くのバンバン川にて<ref>[[#森本]]pp.130-133</ref>}}
 
この発言の前半部分は、元は艦上爆撃機搭乗員としてのプライドから出た不満であり<ref>[[#森本]]p.131</ref>。後半は妻の満里子や母のサカエのことを想起した発言で<ref name="j"/>、承諾の言葉である「ぜひ、私にやらせて下さい」は、「自らの内奥に相剋する想念の全てを一瞬のうちに止揚して」発した発言という指摘もある<ref name="j"/>。201空に着任以来、艦爆出身のよそ者で本心を打ち明ける同僚もなく、隊では孤立ぎみであった関は、同じくよそ者であった記者の小野田に一気に心の鬱積を解き放ったかのようであった。さらに関は小野田を前して、胸ポケットに大事にしまっていた新妻満里子の写真を見せびらかすと、その美しさを自慢し、茶目っ気たっぷりに写真にキスしてみせるなど戯けて見せた。最後に関は一緒に出撃する他の特攻隊員らのことを慮って「ぼくは短い人生だったが、とにかく幸福だった。しかし若い搭乗員はエスプレイ(芸者遊び)もしなければ、女も知らないで死んでいく・・・」と話している<ref>{{Harvnb|森史朗|2003b|loc=電子版, 位置No.2434}}</ref>。また、関はこの日に日本から戻ってきたばかりの菅野にも不満や残る家族への思いを打ち明けている<ref name="k"/>。
 
==== 出撃開始 ====
1,488

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