「地底戦車」の版間の差分

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ビジュアル面においては、[[1933年]](昭和8年)に[[少年倶楽部]]の付録「画集 未来戦」に描かれたもの(画:鈴木御水)があり、国産ではこれが最初のイラストレーションとなる。[[第二次世界大戦]]開戦後の[[1940年]](昭和15年)には国防科学雑誌「[[機械化 (雑誌)|機械化]]」が創刊され、[[小松崎茂]]などにより局面打開のための新兵器として地底戦車が描かれている<ref>昭和18年11月号には、「戦車の未来」としてヘリコプターと合体したような飛行戦車や、潜水艦にキャタピラを付けたような水中戦車と共に、砲弾型で前方の約1/3がドリルとなり下部にキャタピラを持つ地底戦車が三村武名義で描かれている。また、昭和16年11月号の目次カットには前方にドリルを持つ「塹壕掘鑿戰車」が描かれている。</ref>。
 
日本軍は[[日露戦争]]において[[旅順要塞]]を攻略するために坑道を掘り進む[[坑道戦]]を行って成功し、[[第一次世界大戦]]でも各国が坑道戦を行ったが、坑道戦には長時間を要するため坑道を素早く掘り進む兵器の実現が望まれていた。実際に日本軍では[[装甲作業機|潜行掘壕機(SK機)]]という作業車(ただし、これは本項で言う「ドリル車両」ではなく、土木作業車)の研究を行っている。また、ドイツ軍は[[1934年]]にドリルを装備した連結戦車「[[ミドガルドシュランゲ]]」の研究を行ったが、翌年には実用化を断念している。イギリスも同時期[[カルチベーター No.6]]を試作したが、実践投入されなかった
 
[[1941年]](昭和16年)に[[海野十三]]が発表した少年向けSF作品「未来の地下戦車長」は、地底戦車(作中では地下戦車)の開発を目指す少年技師が数々の困難を乗り越えていくもので、地底戦車の持つ問題点([[#実用性と問題点|後述]])が既に指摘されている。