「モジャーヘディーネ・ハルグ」の版間の差分

[[1979年]]、[[イラン革命]]で重要な役割を果たしたものの、後には[[アボルハサン・バニーサドル]]初代大統領の[[亡命|国外脱出]]を支援するなど[[ルーホッラー・ホメイニー]]が指導する[[イスラム共和制]]に反対する立場に転じ、[[モハンマド・アリー・ラジャーイー]][[イランの大統領|大統領]]を[[暗殺]]するなど[[政権]]への[[テロリズム]]・[[ゲリラ]]活動を開始。[[1980年]]から[[1988年]]の[[イラン・イラク戦争]]においては「敵の敵は味方」とばかりに[[サッダーム・フセイン]]の庇護を受けて[[イラク]]の側に立って参戦した(このためイラン国内では[[売国奴]]視されるようになった)。イラクでは[[バグダード]]の北にある{{仮リンク|キャンプ・アシュラーフ|en|Camp Ashraf}}を軍事拠点として、約5000名の兵力を有していた(特に[[女性]]の兵士が目立った)。しかし[[2003年]]の[[イラク戦争]]によって、この最大の拠点を失った。それでもイランで最大の[[反体制]]組織とみられており、イランの[[民主化]]・[[社会主義]]化、イスラーム共和制の打倒と[[世俗主義]]化、女性の地位向上などを求める活動を政治部門である「[[イラン国民抵抗評議会]](NCRI)」を中心に行っている。
 
[[2003年]]以降は、公然の武力闘争を行っていない。[[2009年]]には[[欧州連合]](EU)のテロ組織リストから除外され、[[2012年]]には[[アメリカ合衆国|アメリカ]]でもテロ組織指定を解除された。一方、[[カナダ]]、[[イラク]]、[[イラン]]では、依然としてテロ組織とみなされている。特にイラン国内では、現政権と批判勢力の双方から、「偽善者たち」(モナフェーン、{{lang-fa|منافقین}})という蔑称で呼ばれている。
 
2010年7月11日、[[イラク高等法廷]]はモジャーヘディーネ・ハルグのメンバー39人に対して「1991年に起きたシーア派住民によるサッダーム・フセイン政権に対する反政府蜂起をイラク軍と共に[[弾圧]]し、[[人道に対する罪]]を犯した」として[[逮捕状]]を出した。39人の[[容疑者]]リストの中にはPMOIの指導者である{{仮リンク|マスウード・ラジャヴィー|en|Massoud Rajavi}}と妻の{{仮リンク|マルヤム・ラジャヴィー|en|Maryam Rajavi}}も含まれている<ref>http://www.reuters.com/article/idUSTRE66A17D20100711 Iraqi court seeks arrest of Iranian exiles</ref>。
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