「選抜高等学校野球大会」の版間の差分

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* [[1954年]]([[第26回選抜高等学校野球大会|第26回大会]]。なお開催当時は第7回大会) テレビ中継開始。
* [[1955年]]([[第27回選抜高等学校野球大会|第27回大会]]) 大会回数を中等学校時代からの通算とし、以前の大会(第1-7回)も回数を変更する。これまで未選出であった東北地区から[[岩手県立一関第一高等学校|一関一]]が選出され、東北初代表として出場する。
* [[1959年]]([[第31回選抜高等学校野球大会|第31回大会]]) 皇太子(2019年現在の[[上皇 (天皇退位特例法)|上皇]]・[[明仁]])の大婚によって、決勝戦のテレビ中継が中止になる。
* [[1960年]]([[第32回選抜高等学校野球大会|第32回大会]]) この大会より[[打撃用ヘルメット|打者ヘルメット]]の着用が義務化される。決勝戦の[[香川県立高松商業高等学校|高松商]]対[[鳥取県立米子東高等学校|米子東]]戦が春夏の甲子園史上初めて優勝決定サヨナラ本塁打で決着。
* [[1962年]]([[第34回選抜高等学校野球大会|第34回大会]]) 準々決勝の[[作新学院高等学校|作新学院]]対[[滋賀県立八幡商業高等学校|八幡商]]の試合が春の甲子園としては初の延長18回引き分け再試合となった(春夏通じて2回目)。