「菱田春草」の版間の差分

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Ihadanai (会話 | 投稿記録)
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春草、大観らは、[[1900年]](明治33年)前後から、従来の日本画に欠かせなかった輪郭線を廃した無線描法を試みた。この実験的画法は世間の非難を呼び、「[[朦朧体]]」(もうろうたい)と揶揄された。『菊慈童』『秋景(渓山紅葉)』などが「朦朧体」の典型的作品である。[[1907年]](明治40年)には「官」の展覧会である文展([[文部省美術展覧会]])の第1回展が開催されたが、この時出品した、色彩点描技法を用いた『賢首菩薩』も手法の革新性のため、当時の審査員には理解されなかった。晩年の『落葉』は、伝統的な屏風形式を用いながら、空気遠近法(色彩の濃淡や描写の疎密で、遠くの事物と近くの事物を描き分ける)を用いて日本画の世界に合理的な空間表現を実現した名作である。このように、伝統的な日本画の世界にさまざまな斬新な技法を導入し、近代日本画の発展に尽くした画家で、岡倉天心もその早すぎた死を惜しんだ。大観は、後に日本画の大家と褒められると、「春草の方がずっと上手い」と答えたという。また「(春草が)生きていれば自分の絵は10年は進んだ」とも残している。
 
==代表==
{| class="wikitable sortable"
!作品名
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|同展に《風・雨》という対幅で出品されたが、現在は《雨(山路)》のみ残っている。
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|梅下白描
|絹本著色
|1幅
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|[[福田美術館]]
|1903年頃
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|春庭
|絹本著色
|1幅
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|福田美術館
|1897-1906年(明治30年代)頃
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|第1回文展2等第3席
|重要文化財
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|蓬莱山
|絹本著色
|1幅
|107.7x41.7
|[[岡田美術館]]<ref name="okada">[[小林忠]]監修 岡田美術館編集・発行 『開館一周年記念展 大観・春草・御舟と日本美術院の画家たち』 2014年10月3日、pp.29-43。</ref>
|20世紀初頭
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|-
 
|薊に鳩
|絹本著色
|1幅
|123.9x40.6
|岡田美術館<ref name="okada" />
|20世紀初頭
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|-
 
|海月
|絹本著色
|1幅
|118.0x50.0
|岡田美術館<ref name="okada" />
|1907年頃
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|-
 
|旭光耀々
|絹本著色
|1幅
|116.8x50.3
|岡田美術館<ref name="okada" />
|1907年頃
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|-
 
|松間の月
|絹本著色
|1幅
|117.0x49.3
|岡田美術館<ref name="okada" />
|20世紀初頭
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|-
 
|瀑布の図
|絹本著色
|1幅
|112.3x48.2
|岡田美術館<ref name="okada" />
|20世紀初頭
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|-
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|[[姫路市立美術館]]<ref>[http://jmapps.ne.jp/hmgsbj/det.html?data_id=3307 姫路市立美術館データベース]</ref>
|1909年
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|-
 
|雪中の鹿
|絹本著色
|1幅
|127.0×56.0
|[[吉野石膏]]株式会社<ref name="yoshino">吉野石膏株式会社編集・発行 印象社制作 『吉野石膏コレクション 日本編』 2018年8月31日、pp.34-35。</ref>
|1909年頃
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|-
 
|暁の海
|絹本著色
|1幅
|116.4×49.4
|[[吉野石膏]]株式会社<ref name="yoshino" />
|制作年不詳
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649 ⟶ 759行目:
|茨城県近代美術館
|1910年
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|-
 
|紅葉に小禽
|絹本著色
|1幅
|115.8x49.6
|岡田美術館<ref name="okada" />
|1910年頃
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