「江戸時代」の版間の差分
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=== 耶蘇教(キリスト教) ===
豊臣秀吉によるバテレン追放令の流れを受け、耶蘇教と呼ばれたキリスト教は江戸時代のほとんどを通じて徹底した取り締まりを受けた。
江戸時代初期は交易国であったイギリスやポルトガルなどからもキリスト教が伝えられたため、禁止令も徹底されなかった。しかし鎖国政策を強めるにつれてキリスト教の弾圧が強化 *1622年(元和8年)には長崎西坂で「元和の大殉教」として知られる大量処刑が行われた。3代将軍・徳川家光の時代には、封建制度の確立、貿易・出入国の管理・統制の強化(「鎖国」の徹底)、キリシタンの禁止が三大政策となり、キリスト教徒は殉教か棄教のいずれかを選択せざるを得なくなった。 *1635年(寛永12年) *1637年(寛永14年) *1865年(慶応元年)には == 学問・思想 ==
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