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マッギル大学関連
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{{出典の明記|date=2015年8月19日 (水) 09:04 (UTC)}}
{{Infobox 人物
|氏名=レナード・コーエン
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|職業=シンガーソングライター・詩人・小説家
}}
'''レナード・ノーマン・コーエン'''({{lang-en-short|Leonard Norman Cohen}}、[[1934年]][[9月21日]] - [[2016年]][[11月7日]])は、[[カナダ]]の[[シンガーソングライター]]、[[詩人]]、[[小説家]]。日本では主にシンガーソングライターとして知られ、熱心なファンも多い。80歳を超えた後もアルバムをリリースするなど精力的に活動してい。代表曲は「ハレルヤ」(1984年)など
 
「[[Q誌]]の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第54位<ref>{{Cite web |url=http://www.rocklistmusic.co.uk/qlistspage3.htm#100%20Greatest%20Singers |title=Rocklist.net...Q Magazine Lists.. |work=Q - 100 Greatest Singers |date=2007-04 |accessdate=2013-05-21}}</ref>。
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==経歴==
===幼少・少年時代===
1934年、ケベック州モントリオールの裕福な中流[[ユダヤ]]系家庭に生まれる。父親はモントリオールで大きな服飾店を経営。コーエンにとってショッキングな出来事は、彼が9歳の時に父親他界するしたことだった、父はコーエンが勉学を出来る程度の信託財産を残す。敬愛していた父の死は幼いコーエンに大きなショックとなり、その後[[LSD (薬物)|LSD]]などの[[違法ドラッグ]]を使用する原因となる。少年時、詩や作家としてコーエンを奨励したのは母親だった。13歳でギターを弾き始め、地元のカフェでカントリー&ウエスタンの曲を演奏する。<ref>{{Cite web |url=https://itunes.apple.com/us/artist/leonard-cohen/id485677 |title=iTunes - Music - Leonard Cohen Biography |date=2015-01 |accessdate=2015-01}}</ref>
 
===詩人・小説家===
1951年、[[ギル大学]]に入学し詩人としてのキャリアを積む。コーエンはマッギル討論会議の代表に就き1956年、在学中に最初の詩集『Let Us Compare Mythologies』(「神話を生きる」と題されて日本でも出版された)を出版するした<ref>Simmons, Sylvie. I'm Your Man: The Life of Leonard Cohen. NY: HarperCollins, 2012.</ref>。1961年に出版した2作目の詩集『The Spice-Box of Earth』で特に母国カナダで詩人として知られるようになる。1960年代には主に詩人、小説家として活動する(2作目の小説『嘆きの壁』<ref>原題:{{lang|en|Beautiful Losers}}</ref>が翻訳されて集英社より出版されていたが、現在は絶版)。
 
===シンガーソングライター===
コーエンはピート・シーガー、トム・パクストン、フィル・オクス、グレアム・オールライト<ref>ニュージーランド生まれで、フランスで活躍した</ref>らと同様、社会派のブロードサイド・バラッドを歌う歌手として位置づけられていた。4作目の詩集『Parasites of Heaven』(1966年)に収められた「[[スザンヌ (レナード・コーエンの曲)|スザンヌ]]」が同年11月、ジュディ・コリンズによってカバーされる。それが[[コロムビア・レコード]]で[[ボブ・ディラン]]のプロデューサーを務めていた[[ジョン・ハモンド]]の目に止まり、アメリカでのコーエンのレコード・デビューが決まる。1967年12月27日、デビュー・アルバム『[[:en:Songs of Leonard Cohen|レナード・コーエンの唄]]』を発表。商業的なヒットとはならないも、シンガーソングライターとしてのコーエンの名を広く知らしめた。
 
1960年代から禅に傾倒し、ロサンゼルス近郊のマウント・ボールディ禅センターで{{仮リンク|佐々木承周|en|Kyozan Joshu Sasaki}}に師事する<ref>[[三浦久]]「追憶の60年代カリフォルニア」p.123 平凡社新書 1999年</ref>。1975年にお忍びで来日するが、公演は実現していない。京都の禅寺などを見て回り、[[新・都ホテル]]に滞在した。
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*The Complete Studio Albums Collection(2011)(「Songs of Leonard Cohen」から「Dear Heather」までの11枚組)
 
==カバーと関連作品==
==関連作品==<!-- 関連作品は数多くあって、これだけ節化するのはかなり無理があるんだが-->
{{節スタブ}}
*[[:en:I'm Your Fan|I'm Your Fan]] (1991) - コーエンの作品を、[[R.E.M.]]、[[ニック・ケイヴ]]、[[ジョン・ケール]]他18組のアーティストがカバーしたトリビュート・アルバム。
*[[Blue Alert]] (2006) - [[ANJANI]]のアルバム。プロデューサーを務めた。
*[[イアン・マッカロク]] - There is a Warのカバーを唄う。
*[[アズテック・カメラ]] - How men are
 
==著作==<!--ビューティフルルーザーズとかカナダでスタンダード化してる作品が数多くある-->
===詩集===
*''Let Us Compare Mythologies''. Montreal:Contact Press [McGill Poetry Series], (1956)(2007再版)
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*Various Positions, A Life of Leonard Cohen(1996) Ira Nadel (Random House)
**レナード・コーエン伝(2005/2)[[アイラ・ネーデル]]著、[[大橋悦子]]翻訳(夏目書房)
 
==関連項目==
 
==脚注==