削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
186行目:
 
一方で、中西は「令和」発表後の万葉集講座・インタビューの中で、「中西進という人が考案者と言われているが、ここにいるのは違う人間」としつつ「令和」について誤解が多いとしている。漢籍の帰田賦に類似の文があるとの意見には、「私には理解できない。考案者には理解できなかっただろう」「同じ言葉があるという出典論は江戸時代の学問だ。比較文学の観点からは、文脈が同じかどうかが大事だ」と述べ、否定している<ref>[https://web.archive.org/web/20190412122210/https://www.nikkansports.com/general/news/201904120000640.html 「令和」考案者とされる中西進氏「誤解多すぎる」]日刊スポーツ 2019年5月23日</ref>。また「(「令和」と蘭亭序・帰田賦との間に)確かに形式などに共通性を見いだすことも可能ですが、文脈や意味がかなり異なるので、典拠にあたるとは思いません」「そもそも僕は、出典が何かより、その言葉がどのような表現かの方が大事だと考えます」としている<ref>[https://digital.asahi.com/articles/DA3S13984984.html (インタビュー 平成から令和へ)万葉集と元号 国文学者・中西進さん]朝日新聞 2019年4月20日</ref>。
 
[[朝日新聞]]によると序文について、「新元号の発表後、中国において「令和」の典拠となった『万葉集』より数百年前、[[張衡 (科学者)|張衡]]という文人が詠んだ『[[帰田賦]](きでんのふ)』という詩によく似た一節があるとの指摘が広がった」としている<ref>[https://www.asahi.com/articles/ASM415R8GM41UHBI02H.html 朝日新聞 2019年4月1日]</ref>。また、新日本古典文学大系『萬葉集(一)』([[岩波書店]])の補注において、「令月」の用例として詩文集『[[文選 (書物)|文選]]』巻十五収録の[[後漢]]時代の文人・張衡による詩「帰田賦」の句、
 
{{Quotation|於是仲春令月時和氣淸原隰鬱茂百草滋榮<!-- <poem>於是仲春令月時和氣淸原隰鬱茂百草滋榮</poem> -->}}
193 ⟶ 191行目:
[[中央大学]]教授の[[水上雅晴]]は、[[天皇]]が自ら[[元号]]を決定していた([[昭和]]以前の[[登極令]]の下)時代に公家が元号の候補を審議した『難陳(なんちん)』<ref>[https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/300/317295.html 「新元号きょう決定 現代の『難陳(なんちん)』はどうなる」(ここに注目!) | おはよう日本 「ここに注目!」 | 解説アーカイブス] - [[日本放送協会|NHK]]</ref>の際に、中国古典だけでなく[[日本書紀]]も引用されたことがあったことを指摘している<ref name="mainichi256000c">[https://mainichi.jp/articles/20190401/k00/00m/040/256000c 令和の出典、漢籍の影響か 1〜2世紀の「文選」にも表現] - [[毎日新聞]]</ref>。平成改元時にも日本の古典を出典とする案はあったが、最終案には残らなかった<ref name="nikkei201904011142" />。
 
 
[[朝日新聞]]によると序文について、「新元号の発表後、中国において「令和」の典拠となった『万葉集』より数百年前、[[張衡 (科学者)|張衡]]という文人が詠んだ『[[帰田賦]](きでんのふ)』という詩によく似た一節があるとの指摘が広がった」としている<ref>[https://www.asahi.com/articles/ASM415R8GM41UHBI02H.html 朝日新聞 2019年4月1日]</ref>。また、新日本古典文学大系『萬葉集(一)』([[岩波書店]])の補注において、「令月」の用例として詩文集『[[文選 (書物)|文選]]』巻十五収録の[[後漢]]時代の文人・張衡による詩「帰田賦」の句、
{{枠の始まり|赤}}《書き下し文》{{Small|※ここでの読みは文語とする。}}
: 仲春の'''令'''月、時は'''和'''し気は清む。