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フランクリン・ルーズベルト大統領は[[ニューヨーク]]の[[弁護士]][[ウィリアム・ドノバン]]や劇作家・映画脚本家でルーズベルト大統領のスピーチライターであった{{仮リンク|ロバート・シャーウッド|en|Robert E. Sherwood}}からの説得でOCIの設立を決定した<ref>Houseman, John, ''Front & Center'', 1979, New York: Simon and Schuster, pp. 45-46.</ref>。[[イギリス海軍]]情報部部長[[ジョン・ヘンリー・ゴドフリー]]やニューヨークの[[イギリス]][[秘密情報部]]直属の英国安全調整機関British Security Coordination(BSC)のウィリアム・スティーブンソンらも大統領に設立を促していた。
 
ドノバンは軍事的[[インテリジェンス]]と[[秘密作戦]]を担当し、シャーウッドは米国内の情報宣伝と外国でのプロパガンダを担当した。設立に伴い、海外情報サービス(FIS)が運用され、国際ラジオ放送([[VOA]](VOAの前身)が開始され、1941年12月の日本の[[真珠湾攻撃]]以後は日本に向けた戦争のプロパガンダの手段として利用された<ref name=okuda>[http://tdl.libra.titech.ac.jp/hkshi/xc/contents/pdf/117195317/5 冷戦期のアメリカの対日外交政策と日本への技術導入 : 読売新聞グループと日本のテレビジョン放送及び原子力導入 : 1945年~1956年第1章 アメリカの心理戦とテレビジョン放送 ]奥田謙造、東京工業大学、2007/03/26 </ref>。シャーウッドは、ラジオプロデューサーで[[ルーマニア]]出身のジョン・ハウスマンを雇い、[[枢軸国]]側に向けたプロパガンダ放送局[[ボイス・オブ・アメリカ]]を運営した<ref>Houseman, John (1979), ''op. cit.'', p. 23.</ref>。[[ナチス・ドイツ]]に向けた最初の放送は[[1942年]][[2月1日]]に放送され、「わたしたちはこれから真実を放送する」と告げた<ref>{{cite web |url=http://www.chriskern.net/essay/voaFirstBroadcast.html |title=A Belated Correction: The ''Real'' First Broadcast of the Voice of America |last=Kern |first=Chris |accessdate=2014-04-19}}.</ref>。
 
ドノバンの構想では、プロパガンダ(広報)を軍事戦略として用い、シャーウッドはのちにパブリックディプロマシー(政府と民間が連携して広報や文化交流を通じて外国の国民や世論に直接働きかける外交活動<ref>[http://www.mofa.go.jp/mofaj/comment/faq/culture/gaiko.html よくある質問集] [[外務省]]</ref>)として知られる手法を主張し、両者はしばしば方針をめぐって対立した<ref>Houseman, John (1979), ''op. cit.'', pp. 25-28.</ref>。