「山本浩二」の版間の差分

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'''大学出身者での通算536本塁打'''は日本最多記録である。7度にわたる打点・本塁打のタイトルはいずれも30歳以降であり、通算本塁打の7割を30代以降で放つなど、典型的な大器晩成型の選手であった。その功績を讃え、[[野球の背番号|背番号]]「'''8'''」は広島球団史上初の[[野球界の永久欠番|永久欠番]]となっている。
 
=== 引退後・監督時代・解説者時代 ===
引退後は{{by|1987年}}から{{by|1988年}}まで[[日本放送協会|NHK]][[野球解説者|解説者]]・[[日刊スポーツ]][[野球評論家|評論家]]を経て、{{by|1989年}}から古巣・広島の監督に就任。契約は5年契約でヘッドコーチに[[大下剛史]]、投手コーチに[[池谷公二郎]]、打撃コーチに[[水谷実雄]]を招聘した<ref>日刊スポーツ1988年9月10日7版</ref>。
 
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|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2014-11-6}}</ref> 。
 
{{by|2019年}}は春先に体調を崩し、長期休養されてた。しかし{{by|2020年}}からは体調も戻りつつあり、現段階では4月過ぎに野球解説者やタレントとして復帰する予定。旧友の田淵幸一が2020年に野球殿堂入りを果たし、[[1月18日]]に行われたパーティー「法大OB会」にて田淵の口から「今朝電話にて話したが、現在は体重こそ減ったが現在30~40分くらいの散歩をしていて元気だったるそう。もしかしたら4月過ぎにから解説として再開に復帰するかも」と現在証言があ山本の状況を語った。
 
== 選手としての特徴 ==