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{{Portal 文学}}
『'''離騒'''』(りそう)は、[[楚 (春秋)|楚]]の[[屈原]]の作と伝えられる、中国に於ける最も長編の抒情的叙事詩。[[楚辞]]の代表作であり、三七五句から成る。「憂愁にあう」中国で最も長編意。楚辞抒情的叙事詩代表作1つである。世に容れられない人物の悲憤慷慨と神話的幻想世界への旅行が多数の比喩や擬態語を散りばめて歌われている。
<ref>『漢詩体系 第三巻 楚辞』著:藤野岩友/発行者:堀内末男/株式会社集英社/昭和四十二年四月三十日</ref>
* {{cite book|和書|author=藤野岩友|title=漢詩体系 第三巻 楚辞|year=1967|publisher=株式会社集英社|page=23}}
 
世に容れられない人物の悲憤慷慨と神話的幻想世界への旅行が多数の比喩や擬態語を散りばめて歌われている。
 
『離騒』は自序文学としての側面を持ち、まず先祖を叙し、次に皇考を叙し、次に生年月日を叙し、次に自己の才徳を誇る。このような文学形式は、中国詩歌中極めて稀な例である。
<ref>『巫系文学論』著:藤野岩友/発行者:石見榮吉/株式会社大学書房/昭和二六年九月三十日</ref>
* {{cite book|和書|author=藤野岩友|title=巫系文学論|year=1951|publisher=株株式会社大学書房|page=84}}
 
== 題名 ==
『離騒』という題名の意味はよくわかっていない。『[[史記]]』の屈原の伝では『離騒』の「騒」は「憂」という意味であるとし、王逸『楚辞章句』でも「離別の愁思」の意味に解釈している。これに対し、[[班固]]の「離騒賛序」(王逸注に見える)では「離」とは「遭」という意味であるとし、「憂いに遭う」という意味と解釈している。これは[[応劭]]<ref>{{efn2|『史記』屈原賈生列伝の[[史記索隠|索隠]]に「応劭云:離、遭也。騒、憂也。」とある</ref>。}}や[[顔師古]]<ref>『[[漢書]]』[[賈誼]]伝{{efn2|「被讒放逐、作離騒賦。」注「師古曰:離、遭也。憂動曰騒。遭憂而作此辞。」</ref>}}も同様である。近代以降では游国恩『楚辞概論』(1926)で楚の曲名と解釈したのをはじめ、多くの説が唱えられた。
 
[[後漢]]の王逸の『楚辞章句』以来、『離騒経』と「経」つきで呼ばれたが、これは『九歌』以下の楚辞を『離騒』の「伝」と考えたものである<ref>{{sfn|矢田(|2018) |p.=2</ref>}}。『[[文選 (書物)|文選]]』、洪興祖『楚辞補註』、[[朱熹]]『楚辞集註』などでも踏襲しているが、洪興祖は古い文献には「経」がついていないとして「経」をつけることに反対している<ref>{{efn2|洪興祖『楚辞補註』離騒経章句第一「余按、古人引離騒、未言経者。蓋後世之士祖述其辞、尊之為経耳、非屈原意也。」</ref>}}
 
== 作者 ==
伝統的に讒言によって流刑となった屈原が作ったといい、たとえば[[司馬遷]]の『[[史記]]』太史公自序および『報任少卿書』には「屈原放逐、著『離騒』。[[左丘明|左丘]]失明、厥有『[[国語 (歴史書)|国語]]』。」とある。[[劉向]]『[[新序 (劉向)|新序]]』節士篇の屈原伝、班固「離騒賛序」でも同様である。
 
しかし、[[胡適]]は『史記』の屈原伝の信憑性を疑い、[[聞一多]]も『史記』に述べられている屈原と『離騒』から見られる人物像に差が見られるとした<ref>{{sfn|小南(|2003) |pp.=7-8</ref>}}。日本では[[岡村繁]]が『離騒』を屈原の作とは見なせないとし、屈原は楚辞文学のヒーローであって、その作者ではないとした<ref>{{sfn|岡村(|1966) |pp.=98-99</ref>}}。[[小南一郎]]は『離騒』を「一人語りによる物語、英雄[[叙事詩]]」であり<ref>{{sfn|小南(|2003) |p.=121</ref>}}、「人々に共通する心意が生み出した叙事詩的主人公像」を描いたものであって<ref>{{sfn|小南(|2003) |p.=130</ref>}}、自叙伝的な作品ではないとした。矢田尚子も後半を自叙伝的に解釈するのは無理があるとし<ref>{{sfn|矢田(|2018) pp.|p=24-35</ref>}}、本来は自ら王者たらんとする人物を主人公とした叙事詩だが、漢王朝下では受け入れがたく、悲劇の忠臣とする解釈が行われたのではないかとする<ref>{{sfn|矢田(|2018) |p.=126</ref>}}
 
== 形式 ==
『離騒』は374句からなる(『[[長恨歌]]』の約3倍)。各句の長さは必ずしも同じでないが、大体において奇数句が「□□□△□□兮」、偶数句が「□□□△□□」の形式をしている。ここで「△」は「于、以、与、而、其、之」などの助辞である。偶数句で[[脚韻]]を踏むが、4句ごとに韻が変わる。末尾には4句からなる「乱」と呼ばれる部分が附属する。
 
全篇は前後二大十六の小段に分かれ、前段(第八小段まで)以上と第九小段以下をもって前後二大段とする。前段では、屈原が自らの家系、出生と、徳性、才能の優れたことを誇る。そしての後、懐王を助けて理想の政治を行おうとして。讒言を被せられ失脚したことを述べ、汚濁の世に処する苦悩と憤懣を訴える。後段(第九小段以降)になると、一転して、天地上下を遍歴して女神を求め求婚する。しかし望みは達せられず、ついに仙遊至楽の境地から再転し、汚濁の世の現実に戻り死をもって祖国に殉ずるを決意する{{sfn|藤野|1967|p=24}}。このような文学形式は、中国詩歌中極めて稀な例である{{sfn|藤野|1951|p=84}}
 
<ref>『漢詩体系 第三巻 楚辞』著:藤野岩友/発行者:堀内末男/株式会社集英社/昭和四十二年四月三十日</ref>
* {{cite book|和書|author=藤野岩友|title=漢詩体系 第三巻 楚辞|year=1967|publisher=株式会社集英社|page=24}}
 
後段(第九小段以降)になると、一転して、天地上下を遍歴して女神を求め求婚する。しかし望みは達せられず、ついに仙遊至楽の境地から再転し、汚濁の世の現実に戻り死をもって祖国に殉ずるを決意する。
 
<ref>『漢詩体系 第三巻 楚辞』著:藤野岩友/発行者:堀内末男/株式会社集英社/昭和四十二年四月三十日</ref>
* {{cite book|和書|author=藤野岩友|title=漢詩体系 第三巻 楚辞|year=1967|publisher=株式会社集英社|page=24}}
 
末尾には4句からなる「乱」と呼ばれる部分が附属する。
 
== あらすじ ==
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== 脚注 ==
{{Reflist|2脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{notelist}}
 
=== 出典 ===
{{Reflist|30em}}
 
== 参考文献 ==
* {{cite journal|和書|ref={{sfnref|岡村|1966}}|author=[[岡村繁]]|title=楚辭と屈原 ―ヒーローと作者の分離について―|journal=[[日本中国学会|日本中國學會報]]|issue=18|year=1966|pages=86-101|url=http://nippon-chugoku-gakkai.org/utf8/hpkeisai/18/18-06.pdf}}
* {{cite book|和書|ref={{sfnref|小南|2003}}|author=[[小南一郎]]|title=楚辞とその注釈者たち|year=2003|publisher=朋友書店|isbn=4892810932}}
* {{cite book|和書|ref={{sfnref|矢田|2018}}|author=矢田尚子|title=楚辞「離騒」を読む―悲劇の忠臣・屈原の人物像をめぐって―|year=2018|publisher=東北大学出版会|isbn=9784861633003}}
* {{cite book|和書|ref={{sfnref|藤野|1967}}|author=藤野岩友|title=漢詩体系 第三巻 楚辞|year=1967|publisher=株式会社集英社|}}
* {{cite book|和書|ref={{sfnref|藤野|1951}}|author=藤野岩友|title=巫系文学論|year=1951|publisher=株株式会社大学書房|}}
 
== 関連項目 ==