「果心居士」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
参照エラー
16行目:
*果心居士は地獄を描いた一幅のみごとな絵を持っていて、それを前に群衆に説法し、喜捨を募って生活していた。織田信長がその絵を所望したが断られたので、信長の家臣が淋しい場所で居士を斬り殺し、絵を奪った。信長がその絵を広げると、絵はただの白紙になっていた。
*しばらくのち、死んだはずの果心居士がもとのように絵を見せて説法をしているという情報が届いた。信長の前に連れてこられた居士は「正当な代金をお支払いくだされば、絵は元の場所に戻るでしょう」と答えた。信長が金百両を支払うと、白紙の画面に、ふたたび絵が現れた。
*明智光秀は果心居士の評判を聞き、屋敷に呼んで酒を振舞った。酔った彼はお礼に術を見せましょうと言い、座敷の湖水を描いた屏風の中の、遠景の小舟を手招きした。すると屏風から水があふれ出し、座敷は水浸しになった。果心居士が屏風から座敷に漕ぎ出てきた舟に乗り込むと、舟はふたたび絵の中に戻り、小さくなって姿を消した。それ以来、彼は二度と日本に現れることはなかった。<ref>[[小泉八雲]]『[[日本雑記]]』</ref><ref>{{efn|これらの逸話は事実とは考えられないが、[[奇術]]の原理で説明できるものとして「果心居士=奇術師」という説もある{{sfn|藤山|2005|pp=65-69}}。</ref>}}
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}