「白菊 (航空機)」の版間の差分

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その後も白菊は、沖縄戦終結後の1945年(昭和20年)6月25日まで、のべ115機が出撃し56機が未帰還となったが<ref>{{Harvnb|戦史叢書17|1968|付表「沖縄方面特別攻撃隊一覧表」}}</ref>、1945年6月21日に輸送駆逐艦(高速輸送艦)[[バリー (DD-248)|バリー]] と[[LSM-1級中型揚陸艦]]のLSM-59の合計3隻を撃沈し<ref>{{Harvnb|ウォーナー|1982b|p=186}}</ref>、1945年(昭和20年)5月29日に{{仮リンク|シュブリック(駆逐艦) |en|USSShubrick (DD-639)}}{{Refnest|group="注釈"|シュブリックに突入した機体の機種は公式記録上は不明であるが、シュブリックが特攻された時間、5月29日0:13に沖縄に突入した航空機は、28日19:13から夜間出撃した第三次白菊隊11機以外になく(白菊は沖縄到達まで約5時間の飛行時間)白菊の戦果と推定される<ref>{{Harvnb|島原落穂|1990|p=83}}</ref>。}}<ref>{{Harvnb|原|2006|p=238}}</ref>、1945年(昭和20年)6月21日に中型揚陸艦LSM-213の2隻を大破させ<ref>{{Harvnb|丸スペシャル 神風特別攻撃隊|1986|p=59}}</ref>、その後両艦は修理が断念されて、[[スクラップ]]となった<ref>{{cite web|url=http://ussshubrick.com/okinawa.htm|title=USS SHUBRICK DD-639 Personal War Diary|accessdate=2017-10-14}}</ref>。その他にも数隻を損傷させるなど、宇垣ら第5航空艦隊司令部の低い評価を覆す戦果を挙げている。通常は戦力とはならない練習機が、それも夜間攻撃で戦果を挙げている事に対して敵のアメリカ軍は警戒を強めており<ref>[http://www.history.navy.mil/research/library/online-reading-room/title-list-alphabetically/a/anti-suicide-action-summary.html "Anti-Suicide Action Summary"UNITED STATES FLEET HEADQUARTERS OF THE COMMANDER IN CHIEF NAVY DEPARTMENT WASHINGTON 25, D. C. 31 August 1945]</ref>、夜間の特攻機はアメリカ軍が発射した対空砲火の曳光弾を辿って、艦の中央部にある煙突などの重要箇所に突っ込んでくるため、夜間の特攻機に対する各艦個別の発砲を禁じたほどであった<ref>{{Harvnb|フェーイー|1994|p=275}}</ref>。しかし、白菊は軽量化のために編隊長機にしか無線が搭載されておらず、日本軍は白菊特攻の戦果をほとんど把握できていなかった<ref>{{Harvnb|大島隆之(電子版)|2016|p=2421}}</ref> 。
 
それでも、海軍は稼働機全てを特攻出撃させるつもりで、[[本土決戦]]でも大量の白菊を特攻出撃させる計画であったが、終戦により実現することはなかった<ref>{{Harvnb|米国戦略爆撃調査団|1996|p=189}}</ref>。白菊特攻で徳島空で56名、高知空で52名の合計108名が戦死した<ref>{{Harvnb|島原落穂|1990|p=242}}</ref>。責任を重く感じていた高知空司令の[[加藤秀吉]]大佐は、副官らが[[自決]]しないよう軍刀や拳銃を取り上げたにも関わらず、[[井戸]]に飛び込んで自決してしまった。徳島空でも3名の予備士官が自決した<ref>{{Harvnb|島原落穂|1990|p=122}}</ref>。なかでも、中原一雄海軍中尉と長島良次海軍少尉は、徳島空の白菊特攻隊員に志願するも、出撃することなく終戦を終えたが、敗戦に強いショックと責任を感じており、部下の復員を見届けたのち、8月23日に、海軍の正装に着替えて、祖国の再興を願いながら基地内の防空壕の中で互いを目がけて機銃を撃ち合って自決している<ref>{{Cite web|url=http://www.boueinews.com/news/2006/20061001_5.html|title=自決海軍士官慰霊碑を清掃《徳教空群》|publisher=[[防衛省]]|date=2006-10-01|accessdate=2020-01-20}}</ref>。
 
なお、TVドラマ「[[水戸黄門]]」の第14部から第21部まで9年間[[徳川光圀]]役を務めた俳優・[[西村晃]]は、徳島白菊隊の特攻隊員である。しかし、出撃機不良で基地に引き返し終戦を迎を見届けた後に、8月23日えた。また、この特攻隊での同僚には[[裏千家]]15代家元の[[千玄室]]がおり、西村の親友である<ref>{{Cite web|url=http://osaka.yomiuri.co.jp/kokorop/kp100812a.htm|title=戦後65年 特攻を語る『「お母さん」全員が叫んだ…茶道裏千家前家元 千玄室さん』|publisher=[[読売新聞]]|date=2010-08-13|accessdate=2017-10-16|archiveurl=https://archive.is/20100816174853/http://osaka.yomiuri.co.jp/kokorop/kp100812a.htm|archivedate=2017年10月16日}}</ref>。
 
== 南海 ==
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