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午後11時頃になって、近県より[[日本の警察|警察]]の応援部隊がやってくるという情報が入ったため、ようやく解散した。
 
== その後の顛末裁判 ==
[[国家地方警察]]の応援の下、平市警察署に[[刑事警察|捜査本部]]が設けられ、231人を[[騒乱罪|騒擾罪]]の容疑で[[逮捕|検挙]]した。そのうち159人が[[起訴]]された。
 
[[1949年]][[9月1日]]、第一回公判が[[福島地方裁判所]]で開かれたが、[[松川事件]]が発生したために福島地方裁判所平支部に移された。平支部では、250人収容の大法廷を特設して対応することとなった。公判を重ねること161回、証人も266人にのぼったが、被告らは公判の途中、容共派と反共派の二派にわかれたため分離公判となった<ref>「成立するか騒擾」『日本経済新聞』昭和29年10月10日11面</ref>。
 
一審では騒擾罪が認められなかったが、二審の[[仙台高等裁判所]]で逆転有罪となり、[[1960年]]に[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]は[[上告]]を[[棄却]]し、有罪が確定した。
 
==脚注==
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== 参考文献 ==