「岡山恭崇」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルアプリ編集 Androidアプリ編集
rv
9行目:
|出身地={{Flagicon|熊本県}}[[熊本県]][[上益城郡]][[益城町]]
|出身=[[九州学院中学校・高等学校|九州学院高校]]<br />[[大阪商業大学]]
|身長=218cm230cm
|体重=138kg
|血液型=
31行目:
 
== 人物 ==
[[九州学院中学校・高等学校|九州学院高校]]卒業。[[大阪商業大学]]進学と同時にバスケットボールを始めた。中学高校時代は柔道選手(二段取得)であり、柔道選手としていくつか大学から勧誘もあったが、大商大バスケットボール部監督の人柄に引かれて転向を決意した<ref>[http://www.sanseido-publ.co.jp/sports/2005_just_sports_person_okayama.html Sports Just誌2005年4 - 5月号] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20080307064344/http://www.sanseido-publ.co.jp/sports/2005_just_sports_person_okayama.html |date=2008年3月7日 }}</ref>。[[1979年]]、[[住友金属工業]]に入社し、[[住友金属スパークス|籠球団]]に所属。同年、[[バスケットボール日本リーグ機構|日本リーグ]]のリバウンド王、新人王を獲得。身長は歴代日本人選手最長の230cm、体重138kgだった。[[{{CURRENTYEAR}}年]]現在、存命中の日本人としては最長身
現役時代に周囲よりつけられた[[あだ名]]は、その容姿の逆をあえて言った『'''チビ'''』であった。
 
===来歴===
身長218cm(7230cm(7フィート25インチ)の長身を生かしたプレーが魅力で、得点王や敢闘賞などの個人タイトルも数多く獲得。一方で[[バスケットボール男子日本代表|全日本]]の中心選手として1979年から8年間に渡り活躍した。[[1981年のNBAドラフト]]では、[[ゴールデンステート・ウォリアーズ]]からドラフト8巡の10番目で指名を受けた<ref>[http://www.databasebasketball.com/draft/draftyear.htm?yr=1981&lg=n databasebasketball.com] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20100317223212/http://www.databasebasketball.com/draft/draftyear.htm?yr=1981&lg=N |date=2010年3月17日 }}</ref>。NBAのドラフト指名は日本人初。しかし、主力選手を失うことになる住友金属が移籍に難色を示したことや、岡山本人もオリンピック出場を希望していたこともあり(当時NBA選手のオリンピック出場は禁止されていた)交渉は進まず、プレーすることはなかった。
 
[[1990年]]に現役を引退し、アメリカでのコーチ研修を経て1993年から1995年まで住友金属アシスタントコーチ。1996年から1999年まで母校である大阪商業大学アシスタントコーチを務めた。