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1979年4月8日、東京・[[蔵前国技館]]にて元WBA世界フライ級王者:アルフォンソ・ロペス([[パナマ]])を7回KOに降し、8度目の防衛に成功。1977年10月の3度目の防衛戦からこれで6連続KO防衛となった<ref name="JapanProBoxingHistory" />。「'''世界王座6連続KO防衛'''」は日本人世界王者では具志堅しか達成していない(2012年末現在)。
 
1980年6月1日、[[高知県民体育館]]にてマルチン・バルガス([[チリ]])を8回KOに降し、12度目の防衛に成功<ref name="shashin">『昭和55年 写真生活』p24-25(2017年、ダイアプレス)</ref>。ジュニアフライ級の世界王座防衛回数世界新記録(当時)を達成<ref name="JapanProBoxingHistory" />。その後、10月12日には[[石川県]][[金沢市]][[実践倫理宏正会研修会館|金沢実践倫理記念会館]]に於いて[[ペドロ・フローレス]]([[メキシコ]])を苦戦しながらも15回判定に降し、13度目の防衛にも成功('''世界王座防衛13度'''は日本人男子世界王者の最多記録で、女子を含めると[[小関桃]]に次ぐ記録)<ref name="JapanProBoxingHistory" /><ref name="shashin"/>。
 
1981年3月8日、地元沖縄県での凱旋試合として[[具志川市]](現在の[[うるま市]])の具志川市立総合体育館にて14度目の防衛戦を開催。前回の防衛戦で対戦したフローレスと再戦。回が進むにつれ、挑戦者のプレッシャーをかわし切れなくなっていく。8回に最初のダウンを奪われると、迎えた12回、挑戦者の右ストレートをまともに浴びて2度目のダウン。辛くも立ち上がり試合続行に応じたが挑戦者の追撃に襲われる。ここでセコンドからタオルが投入され世界王座陥落<ref name="JapanProBoxingHistory" />。この試合を最後に現役を[[引退]]した。本人が語った所によると、最初調子は悪くなかったが、序盤でパンチが目に入り、目がよく見えなくなり、そのあとは記憶が無く、ダウンしたことも翌日の報道で知ったと言う。その後、再戦の話が出るが、網膜剥離寸前と診断され一ヶ月通院。元のようには戦えないと思い、新婚の妻とも話し合ったすえに引退を決めた。<ref name="shashin"/><ref>文芸春秋2013年9月号、証言1980−83具志堅用高</ref>