削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
3行目:
 
== 経歴 ==
柳僧習の次男として生まれた。若くして学問を好んだが、[[五経]]は概略に通じるのみで、諸子や史書を広く読み、文章を得意とした。[[北魏]]の[[孝昌]]年間、柳虯は[[揚州 (古代)|揚州]]刺史の李憲によって秀才に推挙され、[[エン州|兗州]]刺史の馮儁に召し出されて府主薄となった。[[樊子鵠]]が吏部尚書となり、その兄の樊義が揚州刺史となると、柳虯は揚州中従事として召され、鎮遠将軍の位を加えられた。待遇が良くなかったため、官を棄てて[[洛陽]]に帰った。まもなく戦乱を避けて陽城に隠棲した。
 
[[537年]]、西魏の馮翊王[[元季海]]と領軍の[[独孤信]]が洛陽に駐屯した。当時洛陽周辺は荒廃していて、人物は極めて少なく、ただ柳虯が陽城におり、[[裴諏之]]が[[潁川郡|潁川]]にいるのみであった。独孤信は柳虯らを召しだし、柳虯を行台郎中とし、裴諏之を都督府属として、ともに公文書をつかさどらせた。ときに「北府の裴諏(裴諏之)、南省の柳虯」と並び称された。[[538年]]、[[長安]]に入った。[[宇文泰]]は官に任じようとしたが、柳虯は母の老病を理由に辞退し、宇文泰はこれを許した。まもなく独孤信の下で開府従事中郎となった。独孤信が隴右に駐屯して[[秦州]]刺史となると、柳虯は二府司馬となった。後に丞相府記室となり、美陽県男に封じられた。
13行目:
[[554年]]冬、死去した。享年は54。兗州刺史の位を追贈された。[[諡]]は孝といった。
 
== 家庭 ==
子の柳鴻漸が後を嗣いだ。
=== 妻 ===
* 席氏 - [[席法友]]の子の席景通の娘
 
=== 男子 ===
* 柳鴻漸
* 柳蔡年
* 柳止戈
* 柳吉甫
* 柳逄恩
* 柳御天
* 柳待価
 
=== 女子 ===
* 柳静女 - [[韋孝寛]]の弟の韋孝固の妻
 
== 伝記資料 ==