「KAORU (プロレスラー)」の版間の差分

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* [[GAEA JAPAN]]に参戦していた[[ライオネス飛鳥]]、[[アジャ・コング]]、[[加藤園子]]とのDorA(デッド・オア・アライブ)結成を機に、ルチャ仕込みの空中殺法に加えて、机の切れ端などを凶器として使うハードコアな戦闘スタイルに路線変更。これが吉と出て、翌年以降大ブレイク。
; [[2000年]]
* 2月のGAEA JAPAN[[後楽園ホール]]大会にて同期のアジャ・コングの持つ念願の[[AAAWシングル王座]]のベルトに挑戦し、アジャの素手による裏拳にて惜しくも敗れるが、両者大流血の死闘を繰り広げる。
* 5月のGAEA JAPAN有明コロシアム大会にて長年敵対してきた[[尾崎魔弓]]とフリーウエポンマッチで対戦し、試合後両者が歩み寄り、後の[[D-FIX]]を結成に繋がっていく。
; [[2001年]]
* 5月のGAEA JAPAN後楽園ホール大会にて尾崎魔弓とヒールユニットD-FIXを結成。
* 7月のGAEA JAPAN後楽園ホール大会にて因縁の[[ライオネス飛鳥]]とのハードコアマッチで両者KO引き分けの死闘を繰り広げる。
; [[2002年]]
* 2月のGAEA JAPAN[[梅田スカイビル|梅田ステラホール]]大会にてインフェルナルKAORUを久々に復活させる。
* 4月のGAEA JAPAN[[横浜文化体育館]]大会にて尾崎魔弓と組み、シュガー佐藤、永島千佳世の持つ[[AAAWタッグ王座]]に挑戦し、KAORUがシュガーからエクスカリバーでピンフォール勝ちを収め、第7代AAAWタッグ王者になる。
; [[2003年]]
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; [[2004年]]
* 4月のGAEA JAPAN国立代々木競技場第2体育館大会にて復帰。尾崎魔弓、[[井上貴子 (プロレスラー)|井上貴子]]と組み、[[デビル雅美]]、[[ダイナマイト・関西]]、[[イーグル沢井]]の重戦車トリオと対戦し、尾崎がデビルからオザキックでピンフォール勝ちを収めた。
* 5月の大会にて負傷し、長期欠場に入る。
; [[2005年]]
* 1月に復帰を果たすが、2月のライオネス飛鳥主催興行で負傷して、再度長期欠場に入る。また4月にGAEA JAPANが解散するに伴い[[フリーランス]]となった。
; [[2006年]]
* 4月の[[長与千種]]プロデュース興行Marvelous Night Miracle Game KAORU復帰戦にて[[大日本プロレス]]の[[関本大介]]、[[アブドーラ小林]]と組み、KAORUの復帰戦のために一夜限りの復帰をした長与千種、大日本プロレスの[[伊東竜二]]、[[佐々木貴]]組を相手にハードコアマッチで復帰戦を行い、長与千種からエクスカリバーでピンフォール勝ちを収めた。以降は[[尾崎魔弓]]が主宰する『[[OZアカデミー]]』を中心に活動している。
; [[2007年]]
* 8月のOZアカデミー後楽園大会で久々に尾崎魔弓とのD-FIXを復活させ、[[植松寿絵]]、[[輝優優]]組([[植松☆輝]])と対戦し、輝を大流血に追い込み、勝利。以降、D-FIXとしての活動を再開させる。
* 8月26日、[[プロレスリングWAVE]]旗揚げに参戦。当時フリーランスだった[[渋谷シュウ]]とシングルで対戦して勝利。
; [[2008年]]
* 3月頃よりOZアカデミーにて[[OZアカデミー#正危軍|尾崎軍]]の一員として、活動している。
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* WAVE主催のリーグ戦「[[Catch the WAVE]]」にエントリー。
* [[6月3日]]OZアカデミー[[新宿FACE]]大会、[[永島千佳世]]、[[加藤園子]]の持つ[[OZアカデミー認定タッグ王座]]に挑戦し、尾崎が加藤から毒霧からの首固めでピンフォール勝ちを収め、第5代OZアカデミー認定タッグ王者となった。
* 8月2日OZアカデミー認定タッグ王者から陥落。以降尾崎魔弓との確執が続き、12月に尾崎軍から離脱する。
; [[2010年]]
* 7月のOZアカデミー新宿FACE大会にて、[[カルロス天野]]の持つ[[OZアカデミー認定無差別級王座]]に挑戦し、カルロス天野からピンフォール勝ちをおさめ、第8代OZアカデミー認定無差別級王者となった。