「サウンド・オブ・ミュージック (映画)」の版間の差分

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*この映画は全般的に親衛隊と突撃隊とを混同して演出している。ちなみに、突撃隊はナチス内部の権力闘争の結果この映画の舞台となった1938年にはその活動は下火になっている。ラストで追われるトラップ一家を追跡する一隊の制服は、ツェラーの副官は黒色の制服(親衛隊)だがその下の隊員(ロルフら)は褐色の制服(突撃隊)である。詳細は[[親衛隊 (ナチス)|親衛隊]]と[[突撃隊]]を参照。
*トラップ一家が生まれ故郷オーストリアを離れることを決心したのは、ゲオルクの元に[[召集令状]]が届いたためだけでなく、ドイツ海軍の潜水艦艦長に就任するように要請され、また長男ルーペルトがユダヤ人医師を強制収容所送りにした後の病院に勤務することも要請され、さらに[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]の誕生日に[[ミュンヘン]]のラジオ局でトラップ一家が歌えと要請されて、いずれも断ったことで、オーストリアに留まることが危険であると判断したことと、当時ナチス党員であった執事のハンスがオーストリア国境がもうすぐ閉鎖されることを伝えたことが大きい。<ref>「サウンド・オブ・ミュージックで学ぶ欧米文化」17~18P</ref>
*映画ではコンクールの最中に徒歩で逃げ出してナチス親衛隊の追跡を振り切るが、史実では周囲に全く気づかれないように普段着で家の裏庭を出て、北イタリア行きの列車に乗ってイタリアの南チロルの山に逃げ、国境を越えて[[フランス]]へ列車で移動し、そしてイギリスに渡り、[[サウサンプトン]]から船でアメリカに向った。映画のようにスイスへの山越えではない。[[ザルツブルク]]から、そのまま山を越えると、そこは[[ドイツ]]で、[[ベルヒテスガーデン]]の[[ヒトラー]]の山荘に、行き着いてしまう。<ref>「サウンド・オブ・ミュージックファミリー・エディション)」の中の、クリストファー・プラマーの発言ほか</ref>ところで何故イタリアに行ったのかについては、当時トラップ一家は戦前オーストリア領で戦後イタリア領になった[[トリエステ]]で市民としてイタリアの市民権を持っていて、まだ独伊同盟が締結される前年で、オーストリア併合に反対したイタリア国内の動きからナチスといえどもイタリア市民権を持つ者を勝手に逮捕することが出来なかったことによる。<ref>「サウンド・オブ・ミュージックで学ぶ欧米文化」 18~19P </ref>
*オーストリアを脱出する山越えのシーンは視覚効果のためか、ザルツブルクからスイスの間を結ぶ通常のルートとは全く異なる場所で撮影された。現実のザルツブルクから歩いて山を越えると、そこはドイツ(バイエルン州)の[[ベルヒテスガーデン]]である。近辺には[[ベルクホーフ|アドルフ・ヒトラーの別荘]]すら存在する。ザルツブルクはドイツとの国境が近く、その半分以上の方角がドイツとの国境である。そしてザルツブルクからスイス国境までの間は相当な距離があり徒歩で移動するには遠すぎる。地元住民の視点においては非常に不自然なラストシーンである<ref>「映画になった奇跡の実話」 鉄人ノンフィクション編集部</ref>。
*実際の[[マリア・フォン・トラップ]]も活動的ではあったが、同時に勝ち気な癇癪持ちでもあり、ゲオルクの方がむしろマリアを優しくなだめる一家のまとめ役であり、音楽好きな性格であった。渡米後にトラップ・ファミリー合唱団が解散したのは、ゲオルクの死後マリアだけで子供達をまとめきれなかったのも一因とされる。