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'''李上金'''(り じょうきん、? - [[690年]])は、[[唐]]の[[高宗 (唐)|高宗]]の三男である。母親は楊氏。[[中宗 (唐)|中宗]]と[[睿宗 (唐)|睿宗]]の異母兄にあたる。
高宗が即位すると、上金は杞王に封ぜられた。[[652年]]([[永徽]]3年)、[[益州]][[大都督]]を遙領した。[[666年]]([[乾封]]元年)、寿州[[刺史]]に任ぜられ、また
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[[690年]]([[載初]]元年)、[[武承嗣]]が上金と李素節に謀反の企みありと誣告し、2人を[[洛陽]]に召還して御史台に送った。李素節が南龍門駅で殺害されると、上金は恐れて自殺した。上金の死後に、7人の子は顕州に流され、そのうち李義珍・李義玫・李義璋・李義環・李義瑾・李義璲は現地で死に、ただ李義珣のみが生き残った。[[中宗 (唐)|中宗]]が復位した後、上金の官爵は復され、李義珣は沢王の位を継いだ。
== 伝記資料 ==
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