「パーソナルコンピュータ史」の版間の差分

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=== 32ビットパソコン・Windowsの時代 ===
[[ファイル:Ibm300pl.jpg|サムネイル|IBM [[IBM PC Series|PC 300PL]](1997年)]]
1990年頃には[[FM TOWNS]]のように日本国産機も32ビットCPUを採用する機種が現れた。同じ頃[[PC/AT互換機]]で日本語の取り扱いが可能になるOS「[[DOS/V]]が登場し、また1991年にはGUIを使った[[Microsoft Windows 3.x|Windows 3.0]]が発売され、世界的な標準機である「PC/AT互換機」が上級ユーザを中心に日本に流入し始めた。この頃に[[PCオープン・アーキテクチャー推進協議会|OADG]]も結成され、日本国内独自のビジネスパソコンやAX機を発売していたメーカーはPC/AT互換機路線に転換した<ref name=":5">{{Cite journal|和書|author=塩田紳二|year=1998|title=国産銘機列伝 : History 「そして、世界標準がやって来た」|journal=ASCII|volume=22|issue=8|pages=378-379|publisher=アスキー|ISSNissn=03865428}}</ref>。
 
1993年に改良されたWindows3.1が発売されると、統一された規格に沿った部品が世界的に豊富に流通し、コストの面でも有利なPC/AT互換機が売れるようになった。また、CPUやバス、グラフィックカード、ハードディスクの高速化とメモリの低価格化により、日本国産機が特殊なハードで実現していた機能をソフトによる「力技」でも実現できるようになった。