「エサ=ペッカ・サロネン」の版間の差分

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== 人物・来歴 ==
[[ヘルシンキ]]・[[シベリウス音楽院]]で、[[ホルン]]演奏と[[作曲]]を学ぶ。同級生の[[作曲家]][[マグヌス・リンドベルイ]]や[[カイヤ・サーリアホ|サーリアホ]]と実験音楽合奏団「トイミー」({{lang|fi|Toimii}}、[[フィンランド語]]で「それは作用する」の意)を結成。その後、[[フランコ・ドナトーニ]]とニコロ・カスティリオーニのもとで作曲の研鑽を積む。当初は作曲活動に専念したが、1983年に急遽[[ロンドン]]で[[マイケル・ティルソン・トーマス]]の代役として[[フィルハーモニア管弦楽団]]の[[グスタフ・マーラー|マーラー]]作曲[[交響曲第3番 (マーラー)|交響曲第3番]]の公演を引き受けることとなり、指揮者としての経歴が開始された。その後も[[1985年]]から[[1994年]]までフィルハーモニア管弦楽団の首席客演指揮者を務めてきた。
 
[[1985年]]から[[スウェーデン放送交響楽団]]の首席指揮者に、また[[1984年]]に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]デビューを果たして以来、[[1991年]]から[[ロサンジェルス・フィルハーモニック]]の音楽監督に就任(首席指揮者と兼任)し、[[現代音楽]]の演奏と録音に献身してきた。[[ヴィトルド・ルトスワフスキ]]の交響曲第3番の世界初録音は、[[1985年|1985年度]]{{仮リンク|グラモフォン賞|en|Gramophone Award}}現代音楽部門最優秀録音に選ばれた。サロネンは、現代音楽だけでなく、[[ジャン・シベリウス|シベリウス]]や[[カール・ニールセン|ニールセン]]、[[ラーシュ=エーリク・ラーション|ラーション]]などの、[[20世紀]]前半から中頃に活躍した[[北ヨーロッパ|北欧]]の作曲家の紹介にも取り組んでいる。