「B-29 (航空機)」の版間の差分

(画像挿入)
1945年元旦、アーノルドは、ハンセルに更迭を伝えるため参謀長のノースタッドをマリアナに派遣し、また指揮権移譲の打ち合わせのためルメイもマリアナに飛ぶよう命じた。この3人はお互いをよく知った仲であり、ノースタッドは第20空軍の参謀長をハンセルから引き継いでおり2人は個人的にも親しかった。またルメイはヨーロッパ戦線でハンセルの部下として働いたこともあった{{Sfn|カール・バーカー|1971|p=154}}。3人とそれぞれの幕僚らは1月7日に手短な打ち合わせを行って、ルメイは一旦インドに帰った{{Sfn|ルメイ|1991|p=178}}。1945年1月20日、ハンセルを更迭し、その後任に中国でB-29を運用してきたルメイを任命する正式な辞令が発令された。アーノルドはルメイの中国での働きぶりを高く買っており、このとき38歳であった若い将軍にアーノルドは「自分のすべて」であったB-29を任せることにした{{Sfn|米国戦略爆撃調査団|1996|p=216}}。第20爆撃集団はルメイ離任後には[[クアラルンプール]]に司令部を移して、日本本土爆撃を中止し、小規模な爆撃を東南アジアの日本軍基地に継続したが、1945年3月には最後まで残っていた第58爆撃団がマリアナに合流している{{Sfn|ルメイ|1991|p=179}}。
 
ルメイが着任するまで、ハンセルの命令による高高度精密爆撃が継続された。1945年1月14日には名古屋の三菱航空機製作所がB-29の73機による再度の爆撃を受けたが、高い積乱雲があり全体的にもやがかかっていたのにも関わらず爆撃成果は良好であった{{Sfn|小山|2018|p=26}}。この爆撃に対しては[[厚木基地]]から駆けつけてきた、これまで多数のB-29を撃墜破し「B-29撃墜王」として国民的な人気者となっていた[[遠藤幸男]]大尉率いる第三〇二海軍航空隊の[[シュレーゲムジーク|斜銃]]を搭載の「[[月光 (航空機)|月光]]」11機が迎撃したが、指揮官の遠藤がB-29を1機撃墜した直後に他のB-29の集中射撃を受けて、乗機から[[パラシュート]]降下を図るも戦死し、第三〇二海軍航空隊司令官の[[小園安名]]大佐を嘆かせている。この日月光隊は5機を撃墜し、遠藤は通算16機目のB-29を撃墜破したと認定された{{Sfn|豊田穣|1979|loc=電子版, 位置No.203}}<ref>{{Cite web|url=https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300376_00000&seg_number=002 |title=日本ニュース 第248号「噫 遠藤撃墜王」|work=NHK 戦争証言アーカイブス|publisher=日本放送協会|language=日本語|accessdate=2019-04-29}}</ref>。アメリカ側の損失記録も5機であった。(1機が出撃中に不時着水、1機が原因不明、2機が帰還中に海上に墜落、1機が基地に帰還するも毀損判定で全壊判定){{Sfn|小山|2018|p=26}}ハンセルによる最後の作戦は、1945年1月17日の[[神戸]][[明石市|明石]]の川崎飛行場に対する爆撃で、62機のB-29が7,500mから8,000mで155トンの爆弾を投下したが、天候に恵まれていたため爆撃の精度は非常に高く、工場の39%を破壊し{{Sfn|小山|2018|p=28}}、一時的に生産能力の90%を喪失させた。日本軍の迎撃もあったが未帰還機は1機もなく、最後にして「(ハンセルによる)最初の完全に成功であったB-29の攻撃」と公式記録に書かれたほどであった{{Sfn|カール・バーカー|1971|p=157}}。
 
1945年1月20日に着任したルメイも、高高度昼間精密爆撃はアメリカ陸軍航空隊の伝統的ドクトリンであり、当初はハンセルの精密爆撃を踏襲したが、1月23日と1月27日の航空機工場に対する高高度精密爆撃はほとんど効果がなく、逆に合計11機のB-29を失うという惨めな結果に終わった{{Sfn|米国戦略爆撃調査団|1996|p=220}}<ref>荒井信一『空爆の歴史―終わらない大量虐殺』岩波新書128-129頁</ref>。前任者ハンセルによる初の東京空襲から1945年2月10日までの16回に及ぶ日本本土空襲で、第21爆撃集団は合計78機のB-29を失っていたが<ref>According to the USAAF Statistical Digest for WWII: p. 261 table165</ref>、期待していた戦果を挙げることはできず、ルメイはあがらぬ戦果と予想外の損失に頭を悩ませていた{{Sfn|渡辺|1982|p=268}}。信頼していたルメイも結果を出せないことに業を煮やしたアーノルドは、また、ノースタッドをマリアナに派遣してルメイを「やってみろ。B-29で結果を出せ。結果が出なかったら、君はクビだ」「結果が出なかったら、最終的に大規模な日本上陸侵攻になり、さらに50万人のアメリカ人の命が犠牲になるかも知れんのだ」と激しい言葉で叱咤した{{Sfn|アレン|ボーマー|1995|p=111}}。
1,474

回編集