「両国 (東京都)」の版間の差分

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[[1732年]]([[享保]]17年)に起こった全国的な大飢饉(いわゆる[[享保の大飢饉]])や江戸における[[コレラ]]の流行を受けて、八代[[征夷大将軍|将軍]][[徳川吉宗]]が死者の弔いと悪病退散を願って両国にて水神祭と[[施餓鬼]]を行った。この際に[[花火]]を打ち上げて川開きを同時に行ったことが両国花火大会の始まりといわれている。[[1733年]]([[享保]]18年)5月のことであった。担当した花火師が両国の篠原弥兵衛、有名な「[[鍵屋]]」六代目である。後にこの鍵屋から暖簾分けした「[[玉屋]]」が加わり、それぞれ両国を挟んで上流側・下流側を担当した。花火を打ち上げるたびに「たまやー かぎやー」という掛け声がかかるのは、この競演に由来する。
 
両国花火大会は、何度かの中断があったものの、現在も続いている日本で最も歴史の長い花火大会である。[[1978年]]([[昭和]]53年)に15年ぶりの復活を遂げた際、現在の「'''隅田川花火大会'''」へと名を変えた。ただし、打ち上げ場所はより上流側の[[浅草]]周辺へ移っている
 
== 両国(町名) ==