「伏見街道」の版間の差分

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江戸時代の伏見は交通の要衝であり、京と伏見の間の物資の運搬路として、この伏見街道に並行して、陸路の[[竹田街道]]や、水路の[[高瀬川 (京都府)|高瀬川]]水運が開かれた。しかし、当時の旅の中心は徒歩であり、稲荷神社(現在の[[伏見稲荷大社]])をはじめ沿道に名所が多いこの道は、観光の道として旅人の往来が多く、沿道には京から伏見に掛けて家屋が連担し、にぎわいを見せた。
 
近代に入り、伏見街道に並行して荷役を担う[[鴨川運河]]([[琵琶湖疏水]])が開削され、さらに疏水によって発電された電力で日本初の路面電車([[京都電気鉄道]][[京都市電伏見線|伏見線]])が竹田街道に沿って京都と伏見を結ぶなど鉄道が整備され、さらに伏見街道に並行して荷役を担う疏水も開削された。
また、車両中心の道路交通としてのメインストリートとしての役割は、現在の[[国道24号]]・[[竹田街道]]、[[師団街道]]や[[国道1号]]が担うことになり、主要な交通路としての役目を終えた。