「原爆投下・10秒の衝撃」の版間の差分

広島市の[[爆心地]]である旧猿楽町{{efn2|正確には猿楽町に隣接する旧細工町内([[島病院]]中庭)。猿楽町は現在の[[中区 (広島市)|中区]]・[[大手町 (広島市)|大手町]]一丁目・[[紙屋町・八丁堀|紙屋町]]二丁目の一部に相当。}}の住民が、原爆によって消滅した町並みの復元に取り組んでいる。[[疎開]]や出征で猿楽町を離れていたため災禍を逃れた人々の記憶や証言に基づいた、[[電柱]]の位置に至るまで正確に再現した[[住宅地図]]が製作された。復元運動を進めていた[[田邊雅章]]は、住民が疎開先等に持参したため残った当時の写真を用い、町に聞こえていた音を被せて、かつての猿楽町の光景を再現したCG映像を制作していた。また猿楽町の人々は松屋産業([[岩国市]])に依頼し、猿楽町にあった広島県産業奨励館(現在の「[[原爆ドーム]]」。以下「産業奨励館」と表記)も外観から内部までカラーCG映像で復元してもらっていた{{efn2|>CGの制作にあたっては[[建築士]]である松屋産業社長自ら原爆ドームを訪ね、設計図から変更された箇所も目視で確認して再現した。さらに螺旋階段の手すりの幅や建物の色等については資料がないことから住民の記憶に基づいて再現したという。(参考文献114頁)}}。番組スタッフはこれらの情報と映像を用いて、猿楽町を襲った惨禍を再現した。
 
爆心地から130mの位置(現在は[[広島平和記念公園]]敷地内)にあったM建具店の2階建て家屋の模型を、[[間取り]]まで正確に製作し、当時この家の1階にいたM氏の親戚一家に中性子がどのような影響を与えたか推定した。降り注いだ中性子の一部は木造家屋を通過し、さらに[[瓦|屋根瓦]]や壁からガンマ線を発生させる。番組では、一家は中性子線とガンマ線を致死量となる57.7[[グレイ (単位)|グレイ]]{{efn2|[[京都大学]]放射線生物研究所の説明では、50グレイの放射線を掌に当てれば細胞が死んで穴が空くという。(参考文献74頁)}}を浴びたと推定した。この時点{{efn2|中性子線やガンマ線が地表に降り注いだ時点、計算上100分の1秒間では光速でも放射線の進む距離は約300mであり、爆発高度に満たないため地表には届かない。}}で、仮に原爆が炸裂せず、熱や爆風の影響がなかったとしても爆心地付近の住民は助からなかったという。
 
=== 第2段階 100万分の1秒から3秒 「火球の出現」 ===
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