「祥寿姫」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
2行目:
'''祥寿姫'''(しょうじゅひめ、[[生没年不詳]])は、[[平安時代]]末期の[[新田氏]]一族の女性。[[源義重]]の娘。[[源義平]]の正室。実名は不明。祥寿姫の名は[[菩提寺]]である[[群馬県]][[太田市]]の祥寿山[[曹源寺 (太田市)|曹源寺]]の寺伝による。法名は'''妙満尼'''とも。
 
== 略歴 ==
夫である義平は[[平治]]元年([[1159年]])12月の[[平治の乱]]で敗れたのち、翌年1月に捕らえられて斬首され、祥寿姫は未亡人となる。平治の乱から20年後の[[治承]]4年([[1180年]])8月、義平の異母弟[[源頼朝]]が挙兵し[[東国]]の主となると、去就を迷っていた父義重は参陣が遅れ12月になって[[鎌倉]]を訪れたため、頼朝の不興を買った。