「メタンフェタミン」の版間の差分

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=== ヒロポン史 ===
[[ファイル:Hiropon.jpg|thumb|200px|一般に市販されていたメタンフェタミン製剤ヒロポンの広告、疲労防止や回復といった効果が強調されている]]
{{Anchors|ヒロポン史}}日本では、[[太平洋戦争]]以前より製造されており、'''除倦覺醒劑'''として販売された。その名の通り、疲労倦怠感を除き眠気を飛ばすという目的で、軍・民で使用されていた。当時はメタンフェタミンの[[副作用]]がまだ知られていなかったため、規制が必要であるという発想自体がなく、一種の強壮剤として利用され、[[参天製薬|参天堂]]('''ホスピタン''')や[[小野薬品工業]]('''ネオパンプロン''')など同業他社からも販売されていたが、その中でも大日本製薬は最大のシェアを得た。こうしてヒロポンはアンフェタミン系をも含む覚醒剤の代名詞となった。
 
ヒロポンの効果については、医学界で発売以降に様々な研究をしていたが、効果は「之を服用すれば心氣を爽快にし、疲勞を防ぎ、睡魔を拂ふ等の興奮効果があり、しかも習慣性、蓄積作用等がないので、現在歐米各國の民間に於て興奮劑乃至能率増進劑として好んで使用されてゐる。即ち米國ではBenzedrine、デンマークではMecodrin、ハンガリアではAktedron等の名稱を以て盛に賣出されて居る。時局柄、產業、事務等各方面に於ける本劑の利用も或は一顧の價値あらんかと、ここに御紹介する次第である。」と先に市販されている他国の例も出して除倦覺醒効果が強く有用な薬品であるとしていた一方で、常習性はないと分析していた。また不眠、食思不振、頭痛、焦燥感などの副作用も臨床実験で報告されていたが、効果・副作用を分ける基準が、主として被験者の主観的によるものが大きいとして特に問題にされていなかった<ref>佐藤哲彦「医学的知識の構成について―「覚せい剤研究」の転換―」熊本大学学術リポジトリ、1998年、29頁</ref>。
当時の適応症は、「過度の肉体および精神活動時」「夜間作業その他睡気除去を必要とする時」「疲労二日酔[[乗り物酔い]]」「各種憂鬱症」であった。[[日本軍|帝国陸海軍]]では、長距離飛行を行う航空兵などに支給されている。ヒロポンの注射薬は「暗視ホルモン」と呼ばれ、[[B-29]]の迎撃にあたる夜間戦闘機隊員に投与された。一晩で5機のB29を撃墜した例もあったという。ヒロポンは「[[本土決戦]]兵器」の一つとして量産され、終戦時には大量に備蓄されていた。([[黒鳥四朗#覚醒剤の投与、効果、戦後の副作用]]を参照)
 
日本軍の覚醒剤の使用目的は、当時の医学界の研究成果の通り、「疲労回復」や「眠気解消」や「士気向上」程度を期待されていたものと推定される。それを証明する証言として、戦後の国会での厚生委員会で、厚生省薬務課長が戦中の覚醒剤の製造認可に対する質疑で「ヒロポン等につきましては、特別に製造許可をいたしました当時は、戦争中でありましたので、非常に疲労をいたしますのに対して、急激にこれを回復せしめるという必要がございましたものですから、さのような意味で特別な目的のため許したわけでございます。」と答弁しており、覚せい剤の使用目的は「疲労回復」であったとしている<ref>第7回衆議院厚生委員会第11号 1950年3月9日 星野政府委員答弁</ref>。
[[日本の降伏|日本の敗戦]]により、日本軍の備蓄品が一気に市場へ流出すると、[[酒]]や[[タバコ]]といった[[嗜好品]]の欠乏も相まって、人々が精神を昂揚させる手軽な薬品として蔓延した。その[[薬物依存症]]者すなわち「ポン中」(ヒロポン中毒者)が大量発生し、中毒患者が50万人を超えるなど社会問題となった。加えて、中毒者が行う不潔な[[注射器]]の使い回しは、[[ウイルス性肝炎]]の伝染機会を増加させ、[[輸血後肝炎]]が感染拡大する遠因となった。この時期芸能界にも蔓延し、多くの芸能人が常用していたことが、のちに明らかになっている。当時芸能界で活動した[[コロムビア・トップ]]が、[[参議院]]議員に転身後国会において、ヒロポンが蔓延した当時の芸能界を証言したことがある<ref>[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/101/1200/10106261200011c.html 参議院会議録情報 第101回国会 社会労働委員会 第11号]。議事録では本名の下村泰名義で記録されている。</ref>。{{main|覚せい剤取締法#経緯|大日本住友製薬#マルピーマーク}}
 
薬学の専門家からは、メタンフェタミン自体が鎮咳剤[[エフェドリン]]の[[誘導体]]として開発された経緯もあり、初めは咳止め効果を期待していたが、覺醒効果の方が顕著だったために、主に眠気解消剤として夜間作業に関わる兵士用、特に夜間に飛行するパイロットに使用されていたという指摘もあり<ref>『薬物乱用防止の知識とその教育(第二章 薬物乱用の歴史)』山本章 薬事日報社 2000年 P.10</ref>、「パイロットの塩」などと呼ばれるほど、塩なみのパイロットの必需品として使用していた[[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]<ref>{{Cite journal|author=EMCDDA |title=Methamphetamine A European Union perspective in the global context |formt=PDF |publisher=European Monitoring Centre for Drugs and Drug Addiction|date=2009年}}</ref>にならって、日本軍においても航空機パイロットに対しても支給された。戦闘機パイロットにはナチス・ドイツよりの「Fliegerschokolade」の情報を元にして生産された「ヒロポン入りチョコレート」が、疲労回復目的で支給されている<ref>『50年前日本空軍が創った機能性食品』岩垂荘二 光琳社 1992年 P.16</ref><ref>西川伸一『[http://hdl.handle.net/10291/19952 戦後直後の覚せい剤蔓延から覚せい剤取締法制定に至る政策形成過程の実証研究]』(2018年10月31日、明治大学社会科学研究所紀要57巻)p.4</ref>。
 
ヒロポンの注射薬は[[ドイツ]]から輸入された「暗視ホルモン」と呼ばれ、夜間戦闘機[[月光 (航空機)|月光]]搭乗員として6機もの[[B-29 (航空機)|B-29]]を撃墜した[[大日本帝国海軍|旧帝国海軍]]のエース[[海軍少尉|少尉]]・[[黒鳥四朗]]と[[准士官|飛行兵曹長]]・[[倉本十三]]のペアが、夜間視力が向上するとの事で注射されたと主張しているが<ref>渡辺洋二『重い飛行機雲 太平洋戦争日本空軍秘話』(文春文庫、1999年) ISBN 4-16-724908-1 四十五年目の真実 p9—35 〔初出:文林堂『航空ファン』1996年1月号〕</ref>、戦後に[[GHQ]]に接収された[[海軍航空技術廠]]の資料によれば、「暗視ホルモン」の成分は、牛や豚の[[脳下垂体]]から抽出された[[メラノフォーレンホルモン]]とされ、ナチス・ドイツからの輸入品ではなく日本国内で製造され、[[台湾沖航空戦]]で既に使用されており、ヒロポンとは全く関係のないものである<ref>神野正美『台湾沖航空戦―T攻撃部隊 陸海軍雷撃隊の死闘』光人社NF文庫、2017年、210頁</ref>。
 
ヒロポンは「[[本土決戦]]兵器」の一つとして量産され、終戦時には大量に備蓄されていた。[[日本の降伏|日本の敗戦]]により、一旦は[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]に押収されたが、のちに日本軍の備蓄貯蔵医薬が一気の開放指令により、他の医療品とともにヒロポンも大量に市場流出すると、した<ref>{{Cite web |url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9885453 |title=SCAPIN-389: CUSTODY AND DISTRIBUTION OF JAPANESE MILITARY MEDICINAL NARCOTIC STOCKS 1945/12/04 |publisher=国立国会図書館 |accessdate=2020-02-06}}</ref>。[[酒]]や[[タバコ]]といった[[嗜好品]]の欠乏も相まって、人々が精神を昂揚させる手軽な薬品として蔓延した。その[[薬物依存症]]者すなわち「ポン中」(ヒロポン中毒者)が大量発生し、中毒患者が50万人を超えるなど社会問題となった。加えて、中毒者が行う不潔な[[注射器]]の使い回しは、[[ウイルス性肝炎]]の伝染機会を増加させ、[[輸血後肝炎]]が感染拡大する遠因となった。この時期芸能界にも蔓延し、多くの芸能人が常用していたことが、のちに明らかになっている。当時芸能界で活動した[[コロムビア・トップ]]が、[[参議院]]議員に転身後国会において、ヒロポンが蔓延した当時の芸能界を証言したことがある<ref>[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/101/1200/10106261200011c.html 参議院会議録情報 第101回国会 社会労働委員会 第11号]。議事録では本名の下村泰名義で記録されている。</ref>。{{main|覚せい剤取締法#経緯|大日本住友製薬#マルピーマーク}}
 
1949年(昭和24年)、[[厚生省]]はヒロポンを[[劇薬]]に指定、製造業者に対し、[[覚醒剤]]としての製造を禁止するよう勧告し、1951年(昭和26年)に[[覚せい剤取締法]]を施行したことに伴い、日本国内では、「限定的な医療・研究用途での使用」を除き、覚醒剤の使用・所持がすべて禁止されている<ref>ここで言う「限定的な医療・研究用途での使用」とは、同法により規定された少数の研究・医療機関への販売や、[[統合失調症]]や[[ナルコレプシー]]の治療等であり、[[日本薬局方]]上は[[処方薬]]([[処方箋医薬品]])の[[覚醒剤]]として残っている。</ref>。{{main|覚醒剤#日本における法規制|覚せい剤取締法#刑罰}}
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