「在日本朝鮮人連盟」の版間の差分

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[[1945年]](昭和20年)9月30日には[[GHQ]]が「朝鮮人連盟発行の鉄道旅行乗車券禁止に関する覚書」で、朝連が「治外法権的地位にないこと」を発表しており、[[1949年]](昭和24年)9月8日にはGHQにより[[団体等規正令]]<ref>のちに[[破壊活動防止法]]となる</ref>の「暴力主義的団体」として解散を命じられ、その資産は没収されることになった<ref name="korea" />。
 
資産の明け渡しは翌1950年にかけて行われたが、連盟名古屋支部は建物の引き渡しに抵抗。同年11月27日には、朝鮮人学校生と約200人が愛知県庁に押し寄せ引き渡し拒否を訴えた<ref>「朝鮮人、警官と衝突 名古屋でも」『日本経済新聞』昭和26年11月28日3面</ref>。
 
その後は、後継団体として[[在日朝鮮統一民主戦線]]が結成され、後に[[在日本朝鮮人総聯合会]]へと発展していった。