「東京一極集中」の版間の差分

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{{See also|東京電力#概要}}
 
== 首都一極集中回避への取り組み ==
=== 日本国内 ===
結論から述べさまざまな取り組みが官民で行われていと'''全く成果を上げていない'''。は乏しく、それどころか年々悪化の一途を辿っており、平成期において各地方の人口減少が続く中、'''首都圏だけが約1100万人の人口増加'''となっている
 
日本では第二次世界大戦後、[[池田内閣]]が1960年に[[所得倍増計画]]において[[太平洋ベルト|太平洋ベルト地帯構想]]を打ち出したが地方の反発にあい、それを受けて1963年に策定された[[全国総合開発計画]](一全総)では、「地域間の均衡ある発展」を掲げた。続く1969年の[[新全国総合開発計画]](二全総、新全総)でも、新たに大規模工業開発地域を定め、工業生産の核となる地方地域開発を狙った。そして[[第三次全国総合開発計画]](三全総)が策定された1970年代には、[[革新自治体]]の台頭もあり、[[地方の時代]]と呼ばれる中央集権から地方分権を志向した主張が盛り上がりを見せた。