「ジーン・アムダール」の版間の差分

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'''ジーン・アムダール'''(Gene Amdahl、[[1922年]][[11月16日]] - )は、米アムダール社の創業者兼技術者。元々は[[IBM]]の技術者であり、IBMの[[システム/360]]の設計者として知られる。
 
[[1970年]]にIBMを退職して[[アムダール]]社を創立。システム/360の開発ノウハウを元に、IBMコンパチブルのコンピュータを世に送り出すことを目指した。
 
しかし実際にはアムダール社の経営は思ったとおりには進まず、同社と合弁でIBM互換のコンピュータを開発する契約を結んでいた[[富士通]]の支援を仰ぐ。その際に[[池田敏雄]]ら富士通側の技術者と対立し、一時は対立が泥沼状態となるが、最終的にはアムダールが同社の会長に退き、事実上富士通主導でコンピュータの開発が進められている。
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彼は1955年12月、IBMを一旦退職し、ラモ・ウッドリッジ、そしてアエロニュートロニックで開発に従事した後、1960年9月復職している。
復職後、彼は[[System/360]]ファミリー・アーキテクチャーの開発に従事し、1965年IBMフェローに就任し、カリフォルニア、メンロ・パークの[[ACS]]研究所の主任に就任した。
彼は自身が提案したコンピューター開発のアイデアがIBMに却下されると、1970年再び同社を退職し、[[富士通]]の援助を得てカリフォルニア州・サニーバレーに[[アムダール]]社を創設した。
 
メインフレーム・コンピューター市場においてIBMと競合する形で、同社は1975年プラグ・コンパティブル・メインフレームの製造に乗り出した。アムダール[[470-V6]]はIBMシステムに対しより低額で、信頼性が高く、より高速な代替品として提供されたものである。