「ヘルメネギルド」の版間の差分

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一方でゴイスインタは王族の中で別の疎外感を味わうようになった。ヘルメネギルドは[[タラゴナ]]か[[トレド]]に幽閉された。
 
[[セビリャ]]の塔に幽閉されている際、ヘルメネギルドのところへ、[[復活祭]]の時期にアリウス派の[[聖職者]]がやってきた。ヘルメネギルドは異端の聖職者の[[ミサ]]と、彼らの手からの[[聖体拝領]]を断固拒否した<ref>"Lives of the Saints: For Every Day of the Year" edited by Rev. Hugo Hoever, S.O.Cist, Ph.D., New York: Catholic Book Publishing Co., (1955)</ref>。レオヴィギルドは息子に死刑を宣告し、ヘルメネギルドは[[処刑]]された<ref>ビクラルのヨハネスが著した『年代記』によれば、ヘルメネギルドはシスベルトという下手人によって殺害されている。しかし、そのシスベルトも2年後の[[587年]]にむごたらしい死を遂げたとあるのに次いで、レカレド1世の前でのカトリック 対 アリウス派の対決とカトリック信仰の勝利が語られている。</ref>。没年齢は20代から30代と推定される
 
== 子孫 ==