「モルダヴィア民主共和国」の版間の差分

(国旗と国章にルーマニア語版の記事の仮リンクを加筆)
[[1917年]]に[[ペトログラード]]で2月革命がおきると、[[ベッサラビア県]]の知事は辞任し、[[ベッサラビア]]の[[暫定政権|暫定政府]]政治委員に指名され、[[グベールニア・ゼムストヴォ]](Gubernial Zemstvo)の長となった{{仮リンク|コンスタンティン・ミミ|ro|Constantin Mimi}}(Constantin Mimi)と彼の副官であった{{仮リンク|ウラジミール・クリスティ|ro|Vladimir Cristi}}(Vladimir Cristi)に法的権力を渡した。全ての旧[[ロシア帝国の県の一覧|ロシア帝国の県]]で同じような手続きがとられた。皇帝派政府の長官は法的権力を州や県の[[ゼムストヴォ]]長官に譲渡し、それぞれ州政治委員、県政治委員と呼ばれた<ref name="Ion Nistor, p. 279">[[Ion Nistor]], p. 279</ref> 。
 
1917年10月に開催された農民議会は新しい政治委員に対する投票でミミを外し{{仮リンク|イオン・インキュレッ|ro|Ion C. Inculeț|en|Ion Inculeț}}(Ion C. Inculeţ)に投票した。この動きは[[アレクサンドル・ケレンスキー]]の計画したもので、彼が[[ペトログラード大学]]準教授のインキュレットをベッサラビアを保持するために送り込んでいた。法的権力がなかった農民議会はすぐに投票し、ケレンスキーは正式にミミからインキュレットに政治委員を置き換えた。インキュレットが[[キシナウ]]に着いた時、反抗する貴族が静まっていることを知り、このためウラジミール・クリスティが副政治委員の地位を持つことに合意した。モルダヴィア民主共和国が宣言される際に、クリスティは辞任し、インキュレットに法的権限を与えた<ref name="Ion Nistor, p. 279"/>。
 
ベッサラビア:スファトゥル・ツァーリー(国家議会)は1917年10月から11月に選挙され、1917年12月から活動を始めた。国会はモルダヴィア民主共和国を[[ロシア民主連邦共和国]]の加盟国として宣言を行った<ref>{{cite web| url = http://books.google.com/books?id=7NxoAAAAMAAJ&pg=PA15&img=1&pgis=1&dq=%22Russian+Democratic+Federative+Republic%22&sig=ACfU3U0qy__hLkf_gJJ9sLJEBfaeov-CZA&edge=0| title = The Republic of Moldavia: from the collapse of the Soviet empire to the restoration of the Russian empire| author = Michael Bruchis| date = 1996 |accessdate =2010-12-03}}</ref>。
[[ドイツ帝国]]と[[ルーマニア王国]]、[[ウクライナ人民共和国]]、[[ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国|ボルシェビキ・ロシア]]による分離講和合意の調印の後、国民はルーマニアとの連合を強く望むようになった。これに促され、1918年4月9日、スファトゥル・ツァーリーはルーマニアとの連合の票決を行い86人の賛成、3人の反対、36人の棄権で連合を行うことが決定された。地方自治、ベッサラビア議会の継続、地方議会と行政体としての権限を条件にルーマニアと交渉を行い、スファトゥル・ツァーリーは法的にモルダヴィア民主共和国を終焉させ、ベッサラビアとルーマニア王国の連合を宣言した。
 
この連合は[[パリ条約 (1920年)|パリ条約]]で承認された。反対票を投じた3人のうち{{仮リンク|アルカディエ・オスモロフスキー|ro|Arcadie Osmolovski|en|Arcadie Osmolovschi}}(Arcadie Osmolovschi)は[[ソビエト社会主義共和国連邦|ソ連]]に移住し、{{仮リンク|シュテファン・バルメス|en|Ştefan Balmez}}(Ştefan Balmez)は地方政治家として成功、{{仮リンク|ミハイル・スタレンキ|ro|Mihail Starenki}}(Mihail Starenki)は彼の教職を続けた。
 
=== 指導部 ===
|ウラジミール・クリスト (Vladimir Cristi)||内務長官
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|{{仮リンク|シュテファン・ チョバヌ|ro|Ştefan Ciobanu}}(Ştefan Ciobanu)||教育長官
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|{{仮リンク|テオフィル・ヨンク|ro|Teofil Ioncu|en|Teofil Ioncu}}(Teofil Ioncu)||経済長官