「ウゴ・チャベス」の版間の差分

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少年時代は成績優秀で、7歳の時には既に「大統領になりたい」という夢を周辺に語っていたという。大の[[野球]]好きで、士官学校に入学した動機には野球部に強い選手が集まるからという理由もあったとされる。
 
1男3女の父親で、2回の離婚歴があった。先妻のマリサベル・ロドリゲスとの間には娘が1人いるが、ロドリゲス前夫人によれば「[[慰謝料]]を一度も払ってもらっていない」ということで対面を拒絶されていた。なお最近のロドリゲス前夫人は、[[2007年]]の憲法修正案を痛烈に批判し、国民投票で「No」への投票を呼びかけたり、大統領派に対抗して[[バルキシメト]]市長選への出馬が取り沙汰されるなど、反チャベスの政治活動を行っている<ref>[httphttps://web.archive.org/web/20081010213455/http://www.news24.com/News24/World/News/0,,2-10-1462_2319802,00.html Chavez sues ex-wife](2008年10月10日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。
 
チャベスはブッシュ政権に対して[[反米]]路線をとり、反ブッシュ発言により世界中から注目を置かれる存在となった。チャベスはアメリカと距離を置く[[ラテンアメリカ]]諸国や[[イラン]]、[[ロシア]]、[[中華人民共和国]]などと積極的に友好関係を結んだ。
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== 大統領就任後 ==
 
国内では貧困層を中心に根強い支持を集めていたが、国外では彼の影響力を嫌う動きも見られた。また、彼の[[政権]]について、「[[極左]]でも[[社会民主主義]]でもない[[ポピュリズム|ポピュリスト]]政権」と定義する見方もあった<ref>[httphttps://web.archive.org/web/20071102112743/http://www.news.janjan.jp/world/0701/0701158070/1.php?action=tree 2006-07年の課題:ラテンアメリカ左派政権を定義] [[JANJAN]] 2007年1月15日(2009年2月18日閲覧)(2007年11月2日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。チャベス自身は[[21世紀の社会主義]]を掲げ、[[マルクス主義]]者を自称し<ref>[http://sputniknews.com/world/20100116/157569985.html Hugo Chavez admits to being Marxist, just like Christ | World | RIA Novosti"]. En.ria.ru. 2010-01-16.</ref><ref>Yolanda Valery BBC Mundo, Venezuela (1970-01-01). [http://www.bbc.co.uk/mundo/america_latina/2010/01/100123_chavez_marx_amab.shtml "BBC Mundo - América Latina - El marxismo según Chávez"]. Bbc.co.uk.</ref><ref>Foto: ABN / Zurimar Campos. [http://www.noticias24.com/actualidad/noticia/139693/yo-asumo-el-cristianismo-como-el-marxismo/ "Chávez afirma que es "marxista" pero reconoce que todavía no ha leído "El Capital" en"] {{Wayback|url=http://www.noticias24.com/actualidad/noticia/139693/yo-asumo-el-cristianismo-como-el-marxismo/ |date=20141205020035 }}. Noticias24.com.</ref><ref>Ludmila Vinogradoff (2010-06-03). "Chavez se declara marxista - Internacional_Iberoamerica - Internacional". ABC.es.</ref><ref>[http://www.abc.es/20100116/internacional-iberoamerica/chavez-declara-marxista-201001162021.html "Chávez se declara marxista en un mensaje ante el Congreso"]. Edant.clarin.com. 2010-01-16.</ref>、[[毛沢東主義]]者<ref name=mao>{{cite web |first=Emma Graham |last=Harrison |date=23 Septmber 2008 |title="Maoist" Chavez eyes closer China energy ties |website=[[ロイター]] |url=https://www.reuters.com/article/us-china-venezuela-chavez/maoist-chavez-eyes-closer-china-energy-ties-idUSTRE48M59V20080923|accessdate=2018-08-18}}</ref>も名乗り、自らを[[トロツキスト]]<ref>{{cite web |first=Jorge |last=Martin |date=12 January 2007 |title="What is the problem? I am also a Trotskyist!" – Chavez is sworn in as president of Venezuela |website=In Defense of Marxism |url=http://www.marxist.com/chavez-trotskyist-president120107.html |accessdate=2018-08-19 }}{{リンク切れ|date=2020年2月 |bot=InternetArchiveBot }}</ref>と呼ぶこともあった。また、従来の社会主義者の国際運動のような[[ヨーロッパ]]ではなく、中南米を中心とした[[第五インターナショナル]]を主張していた<ref>{{cite web |date=2010-09-14 |title=Hugo Chavez, the Fifth International, and the Shadow of Trotsky
|website=Global Research |url=https://www.globalresearch.ca/hugo-chavez-the-fifth-international-and-the-shadow-of-trotsky/21040|accessdate=2018-08-21}}</ref>。
 
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2006年12月3日の大統領選で対立候補マヌエル・ロサレスをダブルスコアに近い大差で3選(チャベスは[[1999年]]当選であるので、本来は'''3選'''であり、憲法違反のはずだが、最初の選挙は旧憲法下であるため合法だ、としている)を果たし、副大統領がホセ・ビセンテ・ランヘルからホルヘ・ロドリゲスに交代した。また、この際に[[第五共和国運動]]など既存の[[与党]]勢力を統一した新与党[[ベネズエラ統一社会党]]の結成を発表しているが、与党連合内のいくつかの党派(ベネズエラ共産党など)はこれに反対している。
 
2007年[[5月]]、チャベス大統領は政権に批判的なTV局である[[RCTV]]に対して「RCTVは国家に対する脅威。放送免許を更新しないのが私の責任だ」と発言し、RCTVに対する放送免許を更新せず、同局の放送免許が切れる同月27日深夜をもって閉鎖させる考えを示した<ref>[httphttps://web.archive.org/web/20070601184708/http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2007052802019741.html ベネズエラ 反政府TV局閉鎖へ 抗議デモに警官隊催涙弾] - 東京新聞 2007年5月28日 夕刊(2007年6月1日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。その座は政府が新たに設立した政府派のTV局である[[TVes]]によって埋められる事となった<ref>[httphttps://web.archive.org/web/20070928134123/http://www.spshimbun.com.br/content.cfm?DA_N_ID=12&DO_N_ID=16966 ベネズエラRCTVよさらば 代わりに政府支援局誕生] - サンパウロ新聞(2007年9月28日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref><ref>[httphttps://web.archive.org/web/20070713180704/http://jp.ibtimes.com/article/general/070529/8001.html ベネズエラ、反政府系テレビ局を閉鎖] - IBTimes 2007年5月29日(2007年7月13日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。
それだけではなく、ベネズエラ政府は[[5月29日]]に米CNNとベネズエラのニュース専門局グロボビジョンを検察当局に[[捜査]]させた。通信情報相によればCNNなどの放送局はチャベス大統領の[[暗殺]]を教唆しているらしい<ref>[httphttps://web.archive.org/web/20070602122133/http://www.asahi.com/international/update/0530/TKY200705300408.html チャベス政権、米CNN捜査へ 「暗殺を教唆した疑い」] - 朝日新聞 2007年5月30日(2007年6月2日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref><ref>[httphttps://web.archive.org/web/20070601171746/http://www.cnn.co.jp/world/CNN200705300007.html ベネズエラ政府が新たに民放を調査 CNN批判も] - CNN.co.jp 2007年5月30日(2007年6月1日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。
 
2007年[[8月]]、テレビ[[インタビュー]]にて大統領の任期を現行の'''6年'''から'''7年'''への延長と、再選を無期限で認める憲法改正案を示した<ref>[http://cnn.co.jp/world/CNN200708160012.html ベネズエラ大統領が改憲案 無期限再選可能に] - CNN.co.jp 2007年8月16日{{リンク切れ|date=2013年2月}}</ref> が、同年[[12月2日]]の国民投票で僅差で否決された。改正案では大統領の再選規定の撤廃だけでなく、任期の延長、メディア規制の強化、中央銀行に対する介入強化などが盛り込まれており、[[国民]]の[[独裁]]への懸念が高まったことが伺える。1982年以来のチャベスの同志で、2002年のクーデターを退けた立て役者であるラウル・バドウェル将軍(2004-06年陸軍総司令官、06-07年国防相)が、この改憲案を批判して国防相を辞任、改憲反対派の急先鋒となったことも、チャベスにとっては打撃となった。チャベスは、記者会見で憲法改正について「今回は成し遂げられなかった」と1992年のクーデター失敗時におこなったテレビ会見と同様の表現をした。[[2008年]][[11月]]に実施された地方選では、[[首都]]・[[カラカス]]を中心に野党勢力が躍進、チャベスの一勢いにも翳りが見られるようになったが、チャベスは憲法改正への考えを変えず、同月末に再度改正案提案を発表。翌・[[2009年]][[1月14日]]同改正案は国会を通過し、[[2月15日]]に大統領の無制限再選を認める憲法改正案の国民投票が再び行われ、賛成多数で憲法改正が承認された。これにより、チャベスの無制限再選が可能となった<ref>[http://www.jiji.co.jp/jc/c?g=int_30&k=2009021600284 大統領の無制限再選を承認=チャベス氏、国民投票で勝利-ベネズエラ] - 時事通信 2009年2月16日{{リンク切れ|date=2013年2月}}</ref>。
 
== 闘病とその死 ==
[[2011年]]、キューバ訪問中に[[癌]]の摘出手術と治療を受けた<ref>{{cite news |url=http://www.worldtimes.co.jp/news/world/kiji/110924-214822.html |title=がん闘病のチャベス大統領が帰国―ベネズエラ |newsapper=Worldtimes |date=2011-09-24 |newspaper= |publication-date= |accessdate=2011年10月13日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130508161300/http://www.worldtimes.co.jp/news/world/kiji/110924-214822.html |archivedate=2013年5月8日 }}</ref>。
 
2012年に任期満了に伴う大統領選挙が行われた。10月7日の投票日に1998年以来最高の80.94%の投票率を記録<ref>[httphttps://web.archive.org/web/20121101210136/http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2012100902000085.html チャベス大統領 4選] - 東京新聞 2012年10月9日 朝刊(2012年11月1日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。投票所には長蛇の列が続き、選挙管理委員会は予定時間を延長して投票を受け付けた<ref>[http://www.cnn.co.jp/world/35022764.html ベネズエラ大統領選、投票所に長蛇の列 時間延長して投票続く] - CNN日本版 2012年10月8日</ref>。対立候補の[[エンリケ・カプリレス・ラドンスキー]]との接戦が報じられたが<ref>[http://jp.wsj.com/World/Europe/node_525620 ベネズエラ大統領選でチャベス氏が当選=選挙管理委員会] {{Wayback|url=http://jp.wsj.com/World/Europe/node_525620 |date=20121009033931 }} - ウォール・ストリート・ジャーナル日本版 2012年10月8日</ref><ref>[http://www.afpbb.com/article/politics/2906540/9651197 ベネズエラ大統領選、チャベス氏が接戦を制して4選] - AFPBB News 2012年10月8日</ref>、カプリレスを制して4選を果たした。投票結果はチャベスの得票数が8,136,637(55.26%)、カプリレスが6,499,575(44.14%)で<ref>[http://www.eluniversal.com/nacional-y-politica/121010/chavez-proclaimed-elected-president-of-venezuela Chávez proclaimed elected president of Venezuela] - El UNIVERSAL 2012年10月10日</ref>、チャベス大統領の任期は2013年1月10日から6年間となり、任期を全うすれば計20年にわたる政権を担うことになる<ref>[httphttps://web.archive.org/web/20121011010959/http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20121008-OYT1T00376.htm チャベス大統領4選…ベネズエラ、20年政権へ] - Yomiuri(読売) online 2012年10月8日{{リンク切れ|date=2013年2月}}</ref>。しかし選挙後、病状が悪化。12月10日にはがんの手術及び治療のため、再びキューバへ渡った。その後、1ヶ月以上動静が伝えられなかったため一時は死亡説も流れたが、2013年2月18日に帰国。副大統領と面会した動静が伝えられた<ref>{{Cite news
|url=http://www.afpbb.com/article/politics/2928498/10295104
|title=入院中のチャベス大統領の写真公開、12月以来初めて
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|date=2013-03-07
|accessdate=2013-03-08
|publication-date=
|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130310042448/http://sankei.jp.msn.com/world/news/130307/amr13030710550008-n1.htm
|archivedate=2013年3月10日
}}</ref>。葬儀には数百万人の群集に加え、中南米・カリブ諸国を中心に32ヵ国の首脳が参列し(中南米・カリブ以外ではイランのアハマディネジャド大統領とベラルーシのルカシェンコ大統領が参列)、国内外におけるチャベス大統領の影響力の大きさが改めて示される結果となった。
 
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[[2006年]][[9月20日]]、[[国連総会]]にて行われた一般演説において、チャベス大統領は壇上に立つとき、以前この場所で演説を行ったブッシュ大統領を暗に仄めかし「'''この場所にかつて[[悪魔]]がいた。いまだに悪臭が漂っている'''」と言い、厳かに[[十字]]を切るパフォーマンスを行い会場をどよめかせた。そしてアメリカ批判論者の[[ノーム・チョムスキー]]の著書を読むよう勧めた。これに対し[[ジョン・ボルトン|ボルトン]]米国連大使は「我々にはほかに仕事がある。コメントする問題ではない」との反応を示したが、場内ではチャベス大統領の演説に対して一部の国々から拍手喝采が起こった。ボルトン米国連大使は「我々は国際問題を喜劇のように扱う手法を相手にしない」と不快感を示したうえで、「[[言論の自由]]を行使するなら、([[ニューヨーク]]の)[[セントラル・パーク]]に歩いて行って、好きなだけ話せばいい」と皮肉った<ref>[http://news.bbc.co.uk/hi/spanish/news/newsid_5365000/5365018.stm "Bush es el diablo", dice Chávez en la ONU] - BBCニュース 2006年9月20日</ref><ref>[https://www.youtube.com/watch?v=HGDOKQOZN1g#t=5m42s Chavez Calls Bush "The Devil" (3/3)] - [[YouTube]](投稿日: 2006年09月22日。国連総会の演説。拍手喝采は5分44秒頃){{リンク切れ|date=2013年2月}}</ref><ref>[http://mainichi.jp/select/world/europe/news/20090408k0000m030072000c.html ベネズエラ:チャベス大統領、米の核廃絶表明を評価]{{リンク切れ|date=2009年5月}}</ref>。
 
アメリカに[[バラク・オバマ|オバマ]]政権が成立すると、チャベス大統領は反米姿勢を弱め、2009年4月18日の第五回[[米州サミット]]の中で、オバマ大統領を「誠実な男」と評し、[[従属論]]に基づいて[[ラテンアメリカ]]の経済史をエッセイとして述べた[[エドゥアルド・ガレアーノ]]の『[[収奪された大地 ラテンアメリカ五百年]]』を寄贈した<ref>[http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2009041900004 オバマ氏に中南米の歴史書=「誠実な男」と評価-チャベス氏] - 時事通信 2009年4月19日 {{リンク切れWayback|url=http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2009041900004 |date=2013年2月20131224105222 }}</ref>。そしてチャベス大統領は「オバマ大統領と友達になりたい」と述べ、オバマ大統領はキューバとの関係改善に触れることで、ブッシュ前政権の下で冷え込んだ中南米各国との関係修復を狙ったものとみられる。 ただし「'''友達になりたい'''」との言辞は、ブッシュが大統領に就任したとき、ブッシュに対しても用いていた。
 
2009年4月5日にオバマ大統領が核廃絶を表明したことを評価する一方、「アメリカは過去の[[原子爆弾|原爆投下]]についてきちんと日本に謝罪すべきだ」と指摘していた<ref>2009年4月7日毎日新聞 <ベネズエラ>チャベス大統領、米の核廃絶表明を評価</ref>。
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2009年9月23日の[[国連総会]]における一般演説では、「'''ここにはもう悪臭がしない。希望のにおいがする'''」とオバマ政権の発足を改めて評価。さらに、オバマ大統領が国内で[[国民保険制度]]改革に関して「社会主義者」と批判されていることに言及して「(オバマ大統領、)'''[[社会主義]]陣営にいらっしゃい。一緒に『悪の枢軸』と戦おう'''」と発言。昨年の演説でこき下ろしたブッシュ前大統領に関しては直接の言及はしなかったが「'''みなさん、どうか私には靴を投げないでください'''」とブッシュ前大統領がイラク人ジャーナリストから靴を投げつけられた事件に触れ、暗に批判した。
 
チャベス大統領は、ブッシュ政権に批判的な[[アメリカ人]]に対して友好的であった。2006年には、[[ハリー・ベラフォンテ]]がベネズエラに来訪し、チャベス大統領と会談した。2009年の[[ヴェネツィア国際映画祭]]においては、チャベス大統領は[[オリバー・ストーン]]監督(チャベスについてのドキュメンタリー映画を撮ったことがある)と共に出席している<ref>{{cite web |url=http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/entertainment/movie/299429/ |title=iza:イザ! |publisher=Iza.ne.jp |date= |accessdate=2012-09-28 |deadlink=2012202092 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130512035937/http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/entertainment/movie/299429/ |archivedate=2013年5月12日 }}</ref>。その席でストーンは、「革命が存在しているかだけでなく、アメリカが敵を探し続けるのも問題だ。ブッシュ前大統領は『敵探し』に目がなかった。イラクがうまくいったら、次はチャベス大統領だった」と冗談げに述べているが、一方でオバマ大統領については「彼を『悪魔』と呼ぶ理由はないよ。オバマとは話し合うことができる。同世代だし、ブッシュと違う事は否定できない。オバマは頭がいいよ」と評価していた。
 
=== イギリスとの関係 ===
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アメリカや[[コロンビア]]はチャベス大統領が[[コロンビア革命軍]](FARC)を支援していると批判している。[[2004年]][[12月13日]]にはコロンビア側がFARCの外交担当幹部[[ロドリゴ・グランダ]]を[[カラカス]]で拉致。一時期両国関係は極めて悪化した。またコロンビアは、[[2008年]][[3月1日]]に[[エクアドル]]領内に侵攻し、人質解放交渉にあたり同地で野営していたFARC幹部、[[ラウル・レジェス]]らを殺害した。この際、レジェスの遺した文書からチャベス大統領によるFARCへの巨額な資金援助の事実が確認されたと発表し、[[アルバロ・ウリベ]]大統領は、チャベス大統領を国際司法裁判所に提訴する意向を示した。このコロンビア政府の発表に対し、チャベス大統領はエクアドル、[[ニカラグア]]と共に戦争も辞さずという対決姿勢を示し、一時は対コロンビア国境に三国軍が集結するという極めて危険な事態となったが、米州機構の仲介もあり、コロンビアが主権侵害について謝罪の姿勢を見せることで一応の決着をみた。([[アンデス危機]])
 
このような南米における[[親米]]派筆頭と呼ぶべきコロンビアとの対立関係は、[[2007年]]11月28日の国交断絶発表という事態を招きつつ、2007年12月末に、FARCに拉致されていたコロンビアの政治家[[クララ・ロハス]](Clara Rojas)、コンスエロ・ゴンサーレス(Consuelo González)の解放交渉への介入など、主としてFARCを間に挟む形で継続している。もっとも、[[国交]]断絶発表と言っても大使の召還等を伴う実際的なものではなく、大衆向けのアジテーションの側面が強かった。ところが、[[2009年]]8月に入りコロンビアがアメリカと軍事同盟を結んだことについて「宣戦布告」と猛反発し、[[2009年]][[8月25日]]現在、コロンビアとの国交断絶を予告している<ref>{{citenews|url=http://sankei.jp.msn.com/world/america/090826/amr0908261320010-n1.htm|title=対コロンビア断交を予告 ベネズエラ大統領|publisher=[[産経新聞]]|date=2009-08-26|accessdate=2009-08-27|deadlink=2013-02-06}}{{リンク切れ|date=2020年2月 |bot=InternetArchiveBot }}</ref>。ちなみに、陸軍力はコロンビアがベネズエラに対して圧倒的に優勢であるため、実際にベネズエラがコロンビアに対して戦争を仕掛けることは困難と考えられる。また、ベネズエラの盟邦であるエクアドルの陸軍力を合わせても、コロンビアが勝っている。また、両国は政治的対立を続ける一方で、経済的には密接な関係を維持していたが、チャベス大統領は2009年7月に入って以降コロンビア産の[[自動車]]を輸入禁止にし、ベネズエラ国内の石油開発事業への参加を認めないとするなど、関係が険悪化している<ref>{{citenews|url=http://www.47news.jp/CN/200908/CN2009080601000410.html|title=ベネズエラ「ロ戦車調達増も」 隣国への米軍増強に対抗|publisher=47NEWS|date=2009-08-06|accessdate=2009-08-27}}</ref>。乳製品、穀物、肉類などについてはベネズエラの盟邦である[[キューバ]]から輸入するとしている<ref>{{citenews|url=http://www.business-i.jp/news/special-page/oxford/200908100007o.nwc|title=ベネズエラ・コロンビア対立深刻 第三国の介入は逆効果|publisher=フジサンケイ ビジネスアイ|date=2009-08-10|accessdate=2009-08-27|archiveurl=httphttps://web.archive.org/web/20090811132722/http://www.business-i.jp/news/special-page/oxford/200908100007o.nwc|archivedate=2009年8月11日|newspaper=|publication-date=}}</ref>。
 
2010年2月22日から23日まで開かれた中南米諸国の首脳会議の昼食会において、チャベス大統領はコロンビアのウリベ大統領に対し、「'''くたばりやがれ'''」などと言い放ち、ウリベと激しい口論になった([[キューバ]]の[[ラウル・カストロ]]議長が割って入り、事は収まった)<ref>{{citenews|url=http://www.47news.jp/CN/201002/CN2010022401000271.html|title=中南米カリブ共同体設立へ 米加抜きで地域統合を|publisher=[[共同通信]]|date=2010-2-24|accessdate=2010-3-1}}</ref>。[[2010年]][[7月22日]]、コロンビアとの国交を断絶。国境に「全面的非常態勢」を敷くよう軍に命令した<ref>{{citenews|url=http://www.47news.jp/CN/201007/CN2010072301000016.html|title=ベネズエラがコロンビアと断交 左翼ゲリラの活動めぐり対立|publisher=[[共同通信]]|date=2010-7-23|accessdate=2010-7-23}}</ref> が、[[フアン・マヌエル・サントス|サントス]]新大統領の就任直後の[[8月10日]]に同国とは国交を回復した。
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=== ロシアとの関係 ===
中国と並ぶ反米連合の雄である[[ロシア]]との関係は友好的であった。ロシアは中国とともに[[BRICs]]の中で経済成長率が高く、ロシアは大幅な物価上昇でいずれに先進国並みの物価とヨーロッパ一番の経済力を持つとも予想される。2006年にロシアとベラルーシに訪問し、[[ウラジーミル・プーチン]]大統領と会談した。ロシアとの間で[[Su-30 (航空機)|スホーイ30]]多用途戦闘機24機の購入契約を結び、[[ベネズエラ軍]]の制式自動小銃を[[ベルギー]]の[[FN FAL]]からロシアの[[AK-103]]に替えた。「スホーイ(Sukhois)戦闘機24機とヘリコプター53機も含め、ここ1年半で約30億ドル(約3500億円)の契約が交わされた」と述べた。2008年には[[ドミトリー・メドヴェージェフ]]大統領がカラカスに訪問し合同軍事演習をベネズエラ国内で行った。両国は平和利用目的の原子力エネルギー開発協定を締結した。2009年にロシア訪問の際にチャベスは[[グルジア]]からの独立を宣言した[[南オセチア]]と[[アブハジア自治共和国]]の主権を承認すると発表<ref>[httphttps://web.archive.org/web/20090924022552/http://www.cnn.co.jp/world/CNN200909110021.html 訪ロのチャベス大統領、南オセチアとアブハジアの独立承認と] - CNN.co.jp 2009年9月11日(2009年9月24日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>、さらに自衛目的のためにロシア製の短距離ミサイルを購入しており、チャベスは大国との関係を最重視して、共にアメリカに牽制する傾向がある<ref>[http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090912-00000014-cnn-int ]{{リンク切れ|date=2012年9月}}</ref>。
 
=== ベラルーシとの関係 ===
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=== リビアとの関係 ===
2009年に[[ムアンマル・アル=カッザーフィー|カッザーフィー]](以降カダフィ)が旧王制を打倒した革命の40周年記念式典に[[西側諸国]]を除き多くの中東諸国とアフリカ諸国が参加した中で、チャベス大統領も参加してカダフィ大佐と対話した。カダフィ大佐も反米的なテロリストであったが、イラク戦争後に標的になるのを恐れて[[パンナム機爆破事件]]の補償の開始や大量破壊兵器の放棄するなど方向転換し、その後は[[欧米]]諸国はリビアと石油開発やテロ対策などで協力関係を拡大するなど<ref>{{cite news |title=リビアで革命40周年記念式典、西側首脳は欠席 |newspaper=Reuters |date=2009-09-02 |url=http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-11305020090902 |accessdate=2011-02-03}}</ref><ref>{{cite news |title=リビア革命40周年式典 西側首脳は欠席 |newspaper=日テレNEWS24 |date=2009-09-02 |url=http://www.news24.jp/articles/2009/09/02/10142993.html |accessdate=2011-02-03 |publication-date= |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140508223705/http://www.news24.jp/articles/2009/09/02/10142993.html |archivedate=2014年5月8日 }}</ref> アメリカに対する態度はチャベスのそれと大きく変わった。しかし2011年に[[2011年リビア騒乱|リビアで発生した内戦]]によりカダフィ政権が崩壊しても、それに替わる[[リビア国民評議会]]をリビアにおける正式な政府とは認めず、チャベスはあくまでカダフィを支持する姿勢を見せた<ref>{{Cite news
|url=http://sankei.jp.msn.com/world/news/110822/amr11082213320008-n1.htm
|title=カダフィ政権支持崩さず ベネズエラのチャベス大統領
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|date=2011-08-22
|accessdate=2011-09-07
|publication-date=
}}{{リンク切れ|date=2013年2月}}</ref>。
|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110824190657/http://sankei.jp.msn.com/world/news/110822/amr11082213320008-n1.htm
|archivedate=2011年8月24日
}}</ref>。
 
=== スーダンとの関係 ===
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アメリカと敵対関係だった[[ベトナム]]にも[[2006年]]に訪問した。[[ホー・チ・ミン廟]]や軍事博物館、退役軍人記念碑など、[[ベトナム戦争]]の関連施設を訪れた。また旅程には、ベトナム戦争当時にアメリカ軍が散布した[[枯葉剤]]によって健康被害を受けた人々のリハビリ施設訪問も訪問した。チャベス大統領はここでもブッシュ大統領を「アメリカ帝国主義の怪物」と批判し、「アメリカのいかなる侵略の試みにも抵抗していく」と発言した。
 
ベトナムは古くからロシア(旧ソ連)とは友好関係であるが、敵であったアメリカとの外交的・経済的な関係強化にも努めており、かつてアメリカと戦った共産政権であるにもかかわらず政府・国民とも珍しく親米的で、枯葉剤の被害の補償問題が未解決ではあるものの政府はこれが対米関係に影響しないよう配慮している。ベトナム人は未来志向・実利志向が強くあまり過去にとらわれない性格であるためアメリカ人観光客やアメリカからの投資も歓迎しており、チャベス大統領亡き現在、その後継者であるマドゥロ大統領の反米主義に同調する可能性は低いと見られている<ref>{{cite news |url=http://www.afpbb.com/article/765010 |title=反米のチャベス大統領がベトナム訪問、政治・経済など協議か - ベトナム 国際ニュース |newspaper=AFPBB |date= |accessdate=2012-09-28 |publication-date= |archiveurl=https://web.archive.org/web/20121202045034/http://www.afpbb.com/article/765010 |archivedate=2012年12月2日 }}</ref>。
 
=== 中国との関係 ===
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2007年に中国との友好関係をアピールするために南米ベネズエラで開催される国際野球連盟世界ユース選手権大会で[[台湾]]([[中華民国]])チームのベネズエラ入国を拒否したことがあり<ref>{{cite news|title=Venezuela's foul play denies baseball team a chance at the plate |url=https://taiwantoday.tw/news.php?unit=10,23,45,10&post=14559 |publisher=Taiwan Today |accessdate=2018年8月19日 |date=2007年08月07日}}</ref>、アメリカやフランスが批判した[[2008年のチベット動乱]]や[[中国の人権問題]]にも触れず、[[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]]については「非常に完璧で、史上最も素晴らしいオリンピック大会の一つだった」と発言した<ref>{{cite news|title=ベネズエラ大統領、北京五輪を称賛|url=http://japanese.china.org.cn/politics/txt/2008-08/25/content_16327346.htm |publisher=Taiwan Today |accessdate=2018年8月19日 |date=2008年08月25日}}</ref>。
 
2008年の訪中時には[[マオイスト]]を自称し<ref name=mao/>、中国の[[四川省]]でベネズエラ初の人工衛星[[ヴェネサット-1]](シモン・ボリーバル)を打ち上げ<ref>{{cite news|url=http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2008&d=1030&f=business_1030_011.shtml |title=宇宙ビジネス、また前進―「ベネズエラ1号」打ち上げ |newspaper=searchina |date=2008-10-30}}</ref>、「南米統合の象徴」と称えた<ref>{{cite web|url=http://www.afpbb.com/articles/-/2533620|title=ベネズエラ初の通信衛星打ち上げ、「南米統合の象徴」とチャベス大統領|date=2008-10-30|publisher=[[AFPBB]]|accessdate=2018-08-11}}</ref>。これに続いて同じ[[米州ボリバル同盟]](ALBA)加盟国のエクアドルとボリビアも中国で初の人工衛星を打ち上げている。[[2009年]][[2月]]に今後200年にわたって中国が必要とする石油を供給すると確約し、アメリカへの依存からの脱却を目指しており<ref>[httphttps://web.archive.org/web/20090222001036/http://sankei.jp.msn.com/world/america/090218/amr0902181311007-n1.htm 中国に200年間、石油供給を確約 ベネズエラのチャベス大統領] - MSN産経ニュース 2009年2月18日(2009年2月22日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>、同年2月には習近平[[中華人民共和国副主席|国家副主席]]がベネズエラに訪問しており、同年4月の訪中では胡主席と会談した<ref>[http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0409&f=politics_0409_008.shtml 中国主席「ベネズエラ重視」-チャベス大統領と会談 サーチナ 2009年4月9日]</ref>。この際にチャベス大統領は「[[世界金融危機]]で世界の重心が北京に移動したことを誰もが知ってる」「我々は[[新世界秩序]]を築きつつある。[[アメリカ帝国]]の[[一極体制|一極支配]]は崩壊し、世界の重心は北京、東京、テヘランなど東と南に向かってる」と発言した<ref>{{cite news|title=Adios US: now China leads the world, says Chavez |url=https://www.smh.com.au/world/adios-us-now-china-leads-the-world-says-chavez-20090409-a26d.html |publisher=[[シドニー・モーニング・ヘラルド]] |accessdate=2018年8月19日 |date=2009年04月10日}}</ref><ref>{{cite news|title=Hugo Chavez Declares "New World Order" |url=https://www.americanthinker.com/blog/2009/04/hugo_chavez_declares_new_world.html |publisher=American Thinker |accessdate=2018年8月19日 |date=2009年04月10日}}</ref>。同年に中国はベネズエラのティナコとアナコを結ぶ実現すれば南米初<ref>{{cite news|url=https://www.businessinsider.com/ap-chinese-bullet-train-in-venezuela-stalls-as-alliance-derails-2016-5|title=South America's first high-speed train has become a symbol of economic collapse |newspaper=[[Business Insider]] |date=2016-05-14|accessdate=2018-08-28}}</ref>の[[高速鉄道]]の建設を受注し<ref>{{cite news|url=https://www.recordchina.co.jp/b34074-s0-c20-d0000.html|title=<中華経済>中国鉄道建設大手が南米ベネズエラで大型受注 |newspaper=[[Record China]] |date=2009-08-05|accessdate=2018-01-10}}</ref>、ベネズエラ初の国産携帯電話[[Vergatario|ヴェルガタリオ]]を中国の[[中興通訊|ZTE]]とともに共同開発してチャベス大統領自身もユーザーだった<ref>{{cite news|url=https://www.theguardian.com/world/2009/may/11/chavez-venezuela-mobile-phone-vergatorio |title=Chavez launches $15 mobile phone with a name to make his mother blush |newspaper=[[ガーディアン]] |date=2009-5-11|accessdate=2018-01-10}}</ref>。また、ベネズエラ政府は中国の{{仮リンク|浪潮集団|en|Inspur}}と{{仮リンク|VIT|es|Venezolana de Industria Tecnológica}}を設立して国産コンピュータの製造も行っている<ref>{{cite news|title=Gobiernos Chino-Venezolano Ratifican Alianza con tecnología de punta |url=http://www.caracasdigital.com/index.php?keyword=TI&x=4363 |publisher=Caracas Digital |accessdate=2018年8月6日 |date=2013年10月01日}}</ref>。
 
2010年には[[JL-8 (航空機)|K-8 カラコルム]]など中国の軍用機を導入し<ref>{{cite news|title=Venezuela receives first six K-8 jet trainers
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しかしチャベスはアメリカが行っているパレスチナの和平や復興支援<ref group="注">2007年にはパレスチナ自治政府の経済復興総額74億ドル(約8360億円)を支援した87の国のうちアメリカは5億5500万ドル(約620億円)を支援している。</ref>、[[スーダン]]のバシールがしている[[ダルフール紛争]]、中国の[[チベット]]や[[ウイグル]]や[[法輪功]]に対する人権弾圧、イランにおける民主化勢力への弾圧、また旧フセイン政権の極めて残忍な拷問や少数派への[[大量虐殺]]、[[ジンバブエ]]の人権侵害などの悪行に対しては一切言及していない。チャベスはアメリカを一方的に批判する反面に反米的な友好国の悪行をすべて黙殺している。また[[冷戦]]時代の[[中ソ対立]]でソ連側についたフィデル・カストロは今でも友好的な国がロシアなのに対し(ただ、[[ラウル・カストロ]]によりキューバと中国の関係修復は進んでいる)、チャベスは国連安保理の常任理事国である中国とロシアの両国を後ろ盾に非常に密接な関係を持っていた。
 
チャベスは[[南米・アラブ諸国首脳会議]]に出席してアラブ諸国との関係を強化し、反米的な国に密接な貿易関係やエネルギー協定を結ぶなど『[[アメリカ|敵]]の[[反米|敵]]は味方』で関係強化し、例えば2007年にはベネズエラ中心で「反米同盟基金」を設立、また中国・ロシアから軍事面で関係強化するなど、チャベスの反米主義の強さが捉えられる<ref>[http://www.nikkeyshimbun.com.br/071031-25brasil.html ベネズエラ=反米同盟基金を設立] {{Wayback|url=http://www.nikkeyshimbun.com.br/071031-25brasil.html |date=20080307040635 }} - ニッケイ新聞 2007年10月31日</ref>。
 
また、友好的な政治家にはシモン・ボリーバルの剣のレプリカを献上することが多かった。
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== 外部リンク ==
{{commons|Hugo Chávez}}
* [https://web.archive.org/web/20120712083013/http://www.chavez.org.ve/ Blog de Hugo Chávez] - ブログ
* {{Twitter|chavezcandanga|Hugo Chàvez Frìas (chavezcandanga)}}
* {{Twitter|chavezEnglish|chavezEnglish}}