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→‎風習: 明治6年、五節句が廃止される前の日本の風習
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七夕は、旧暦の七月七日に行われた。その日は、月齢およそ6の、船のような形の月が南西の夜空に浮かんだ<ref>[https://www.nao.ac.jp/faq/a0310.html 国立天文台「質問3-10)伝統的七夕について教えて」]</ref>。
 
七夕飾りは、現代のように軒下に飾るのではなく、色紙短冊等を付けた葉竹を屋上にたてていたことが、次の通り、明治政府発行の百科事典『[[古事類苑]]』概説されている<ref>[http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/index.php?cmd=read&page=%E6%AD%B3%E6%99%82%E9%83%A8%2F%E4%B8%83%E6%9C%88%E4%B8%83%E6%97%A5&word=%E4%B8%83%E5%A4%95国際日本文化研究センター『[[古事類苑]]』歳時部七月七日]</ref>。
{{Quotation|七月七日ハ、古來其夜ヲ賞シ、是ヲ七夕ト云フ、七夕ハ古ハ、ナヌカノヨト呼ビシガ、後ニタナバタト云フ、棚機(タナバタ)ツ女ノ省言ニテ、織女ヲ云フナリ、支那ノ俗説ニ云フ、此夜牽牛織女ノ二星相遇フ、巧ヲ之ニ乞ヘバ、其願ヲ得ト、故ニ我朝廷ニ於テモ、乞巧奠ノ設アリテ、織女祭トモ稱ス、後世民間ニテハ、葉竹ヲ屋上ニ樹テ、色紙短册等ヲ附スルヲ例トス、亦乞巧奠ノ遺意ナリ、|『古事類苑』歳時部七月七日より抜粋}}
その『[[古事類苑]]』の出典は、『東都歳事記』三の七月に記された「六日 今朝未明より、毎家屋上に短册竹を立る事繁く」や、『[[守貞漫稿]]』二十七に記れた「兒アル家モ、ナキ屋モ、貧富大小ノ差別ナク、毎戸必ラズ青竹ニ短册色紙ヲ付テ、高ク屋上ニ建ルコト、」から引かれている。