「メソジスト」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
20行目:
=== 連合王国(英国)での歴史 ===
==== イングランド ====
メソジスト運動のそもそもの始まりは、イングランド国教会の教職であったジョン・ウェスレーが、[[モラヴィア兄弟団]]のクリスチャンと接触し、それまでの形式的な信仰から、いのちの溢れる信仰に導かれたことにある。人々は、輝いて生きるようになったウェスレーに魅せられて、指導を求めてきた。ウェスレーは木曜日の夜を定めて、これらの人々との交わりの時、指導の時を持った。これが人数が増し加わるにつれて、[[メソジスト・ソサエティ]]が作られ、その組会のために[[信徒伝道者]]が立てられ、彼らの巡回によって、[[イギリス帝国|大英帝国]]全体に感化を及ぼしたメソジスト運動へと展開していった。
 
このように実際の運動を支えたのは、信徒の立場にあって労した説教者たちであった。[[植民地]]アメリカでのメソジストの働きも信徒によって始められた。それで18世紀の英国で始まった信仰覚醒運動から生じたメソジスト系の諸教会は、もともと信徒運動という性質の強い教会であった。
 
当初はジョン・ウェスレーをはじめとするごく少数のイングランド国教会の司祭たちによって指導され、聖職者がほとんど参加していなかったため、信徒の説教者を用いたことから、これを認めない国教会と対立し、激しく迫害された。神学的には国教会と同じく[[ローマ神学]]を継いでいるが、上記の信徒による自立的な宗教活動を教義的に支えるため、プロテスタント諸派の中でも特異な[[聖霊論]]をもつ。
 
イギリスにおけるメソジスト運動は、主に中下層階級の市民や軍人を対象とした大衆運動として展開されながらも、ウェスレーという強烈な個性の存在によって、禁酒禁煙や几帳面な生活様式を要求するなど、爆発的な信徒数に結びつくにはほど遠い、厳格な[[ピューリタン]]的な要素を含んだ運動であった。