「平和革命」の版間の差分

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== 例 ==
*1970年以降、[[ヨーロッパ]]の一部の共産党は、暴力革命路線を放棄して[[ユーロコミュニズム]]となった。
*[[日本共産党]]は[[第二次世界大戦]]後、1946年の第五回党大会で「平和革命論」を主張したが、1950年に[[コミンフォルム]]から「[[帝国主義]]を美化するもの」と批判された。しかし[[1955年]][[日本共産党第6回全国協議会|第六回全国協議会]](六全協)でこれまでの武装闘争路線を否定し、1961年の第八回党大会以降は[[徳田球一]]らの暴力革命路線は否定された<ref>[https://www.jcp.or.jp/jcp/jcp-syokai/html/fuwakoen_2.html 戦後の党の歴史から - 日本共産党]</ref>。日本共産党は以後、「平和革命必然論」と「武力革命唯一論」の両方を誤りとしている<ref>[https://www.jcp.or.jp/web_jcp/1994/05/post-49.html 日本共産党綱領一部改定についての提案 1994年 - 日本共産党]</ref>。
*[[日本社会党]]は平和革命の立場だが、[[1986年]]の「[[日本社会党の新宣言]]」で革命自体を否定した。後継政党の[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]は社会民主主義を党是とし、革命を目指していない。[[社会党左派]]の一部が離党して結成された[[新社会党]]は綱領である『21世紀宣言』にて「新たな国際的・国内的諸条件のもとでの平和革命による社会主義をめざす」と記載した<ref>[http://www.sinsyakai.or.jp/apper/sinsyakaitoha/kouryo.html 新社会党綱領『21世紀宣言』]新社会党公式サイト</ref>。