「ペリリューの戦い」の版間の差分

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[[ファイル:Peleliu USMC Photo No. 2-15 (21332198548).jpg|thumb|反撃に失敗して撃破された日本軍95式軽戦車、奥は一式陸上攻撃機の残骸]]
ここで、日本軍は第一号反撃計画に基づき、中川大佐が反撃の有力戦力として温存していた[[95式軽戦車]]を伴った決死斬込隊による反撃をおこなった<ref>『戦史叢書 中部太平洋陸軍作戦(2)ペリリュー・アンガウル・硫黄島』169頁</ref>。17両の95式軽戦車の車体にはロープがまかれ、そのロープを歩兵が掴み[[タンクデサント]]での出撃となった。中川大佐の期待も大きく、出撃する戦車隊に対しいつまでも手を振っていたという<ref>船坂弘『血風ペリリュー島』堯文社 66頁</ref>。反撃部ペリリュー島に配置されていた95式軽戦車隊は第14師団直轄の戦車隊であり[[天野国臣]]大尉が率いていた。天野の隊長車の砲塔側面「さくら」とペンキで記されており、他の車輌も識別し易いように1輛ごとに名前がつけられ、「さくら」と同様に砲塔側面に車名が記されていた。戦車隊は連日の猛訓練により、800mの距離でも100発100中の命中率を誇っていた。天野は自ら先頭車に乗り込むと整備中の1輛を除いた16輛で最高速度45km/hで目標の西海岸に突進していった<ref>{{Harvnb|岡村青|2018|p=129}}</ref>。天野の戦車隊は第1海兵連隊と第5海兵連隊の中間点あたりに進撃してきた。海兵隊は今まで太平洋の各戦場で日本軍の無謀な[[バンザイ突撃]]を何度となく撃破してきたが、この反撃は戦車と歩兵が見事に連携した攻撃であり、今までの日本軍とは違って非常に手ごわいと感じたという<ref>[[ユージン・スレッジ]] 『ペリリュー・沖縄戦記』伊藤真/曽田和子・訳 講談社学術文庫 113頁</ref>しかし装甲が薄い95式軽戦車は、M4中戦車やアムタンクやアメリカ軍が多数揚陸済みであった[[バズーカ]]で次々と撃破され、海岸付近まで達する事ができた戦車はわずか6両であり、その6両も集中砲撃や勇猛な海兵隊員による白兵戦で次々と撃破され、生き延びたのはわずか2両と壊滅し反撃は失敗に終わった<ref>ジェームズ・H・ハラス 『ペリリュー島戦記―珊瑚礁の小島で海兵隊員が見た真実の恐怖』199頁</ref>。
 
しかし、突進してきた戦車隊をM4中戦車が待ち構えており、訓練度に勝る95式軽戦車の砲弾は次々とM4中戦車を捉えるが貫通することができず、逆にM4中戦車の75mm砲は易々とわずか12mmの95式軽戦車の装甲を貫通し次々と炎上させた。天野は軽快な動きを活かしてM4中戦車の側面に回り込んで砲弾を浴びせたが、それでも豆鉄砲のようなもので貫通できなかった<ref>{{Harvnb|岡村青|2018|p=130}}</ref>。また、サイパンの戦いで、日本軍の[[戦車第9連隊]]の戦車を多数撃破した新兵器[[バズーカ]]がここでも猛威を振るって、戦車隊は目的の海岸に達する前に大損害を被り、海岸付近まで達する事ができた戦車はわずか6両で、その6両も集中砲撃や勇猛な海兵隊員による白兵戦で次々と撃破され、生き延びたのはわずか2両と壊滅し反撃は失敗に終わった<ref>ジェームズ・H・ハラス 『ペリリュー島戦記―珊瑚礁の小島で海兵隊員が見た真実の恐怖』199頁</ref>。
 
夕刻遅くにようやく師団司令部は第1海兵連隊と連絡がつき、上陸初日の死傷者が1,111名と当初見込み500名の倍に達した事や、その内の半分が第1海兵連隊の損害であることが把握できたが、第1海兵連隊連隊長ブラー大佐は援軍の申し出を拒否し、連隊の後方支援要員まで前線に回し欠員を補充している。第1海兵師団全体でも負傷兵が予想以上に出たため、医療品の不足が生じ治療待ちの重傷者も多数に上った。また多数のアムトラックが撃破されたため、前線に食糧や水を輸送することが出来ず、特に高温の中で水の不足がアメリカ兵を苦しめた。夜になると、日本軍の通例である夜間のバンザイ突撃を警戒しアメリカ軍は守備を固めたが、日本軍は突撃しない代わりに心理戦のつもりか「アメリカジン、ブタ、イヌ、オマエ、シヌ」と拡声器を使って罵詈雑言を浴びせてきた。それに煽られたアメリカ兵も大声で嘲り返すなど、神経をすり減らす事となった。またその隙に、攻略された日本軍陣地を、日本兵が夜陰に紛れて奪還しアメリカ軍の後方を脅かしたり、破壊工作を行ったりした。南部海岸で敢闘した千明率いる歩兵第15連隊 第3大隊の残存兵も夜間挺身攻撃に参加、アメリカ軍の前線突破に成功し{{Sfn|戦史叢書13|1968|p=169}}、中には遠征軍司令官ジュリアン・スミス少将の指揮所にまで達した日本兵もおり、危うく警備兵が発見し射殺した為、スミス少将は無事であった<ref>ジェームズ・H・ハラス 『ペリリュー島戦記―珊瑚礁の小島で海兵隊員が見た真実の恐怖』215頁</ref>。千明も16日の明け方に戦死し、部隊も死傷者が60%まで達したので島南部に撤退し第3大隊の残存部隊と合流することとした{{Sfn|戦史叢書13|1968|p=169}}。
* [[ユージン・スレッジ]]著、[[伊藤真]]{{要曖昧さ回避|date=2017年10月}}/[[曽田和子]]・訳 『ペリリュー・沖縄戦記』、[[講談社学術文庫]]、[[2008年]]、ISBN 978-4061598850
** テレビドラマ[[ザ・パシフィック]]の原作の1つ。ドラマ構成で3話で構成され重要なシーンで語られている。
* {{Cite book |和書 |author=岡村青 |year=2018 |title=サクラ サクラ サクラ 玉砕ペリリュー島 生還兵が伝える日本兵の渾身の戦い |publisher=光人社 |series=光人社NF文庫 |isbn=978-4769830719 |ref={{SfnRef|岡村青|2018}}}}
* [[久山忍]]、『戦いいまだ終わらず』、[[産経新聞出版]]、[[2009年]]、ISBN 978-4819110846
* [[西部邁]]、「「戦争の思い出」が道義の在り処を指し示す」、『実存と保守 危機が炙り出す「人と世」の真実』、[[角川春樹事務所]]、[[2013年]]4月、116-130頁、ISBN 978-4758412162 西部がペリリューの戦いについて論じている。
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