「シャルル・ド・ロアン (スービーズ公)」の版間の差分

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== 子女 ==
3度の結婚で、2女をもうけたのみであった。彼はロアン家の分枝の最後の男子であり、[[1804年]]に処刑された[[アンギャン公]][[ルイ・アントワーヌ・ド・ブルボン=コンデ|ルイ・アントワーヌ]]は曾孫にあたる。
最初に、ブイヨン公エマニュエル=テオドーズ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュの娘アンヌ・マリー・ルイーズと結婚し、1女をもうけた。
*[[シャルロット・ド・ロアン (1737-1760)|シャルロット]](1737年 - 1760年) - [[コンデ公]][[ルイ5世ジョゼフ (コンデ公)|ルイ5世]]と結婚。
二度目に、カリニャーノ公[[ヴィットーリオ・アメデーオ1世・ディ・サヴォイア=カリニャーノ|ヴィットーリオ・アメデーオ1世]]の娘[[アンヌ・テレーズ・ド・サヴォワ=カリニャン]]と結婚し、1女をもうけた。
*[[ヴィクトワール・ド・ロアン|ヴィクトワール]](1743年 - 1807年) - 同族のゲメネ公[[アンリ=ルイ=マリー・ド・ロアン|アンリ]]と結婚。
三度目に、[[ヴィクトリア・フォン・ヘッセン=ローテンブルク]]と結婚したが、子供はいなかった。
 
== 参考文献 ==