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== 歴史 ==
=== 南北朝鮮独立以前 ===
[[画像:Seoul Overseas Chinese Primary School.jpg|サムネイル|right|在韓華人小学校の校門([[明洞]])]]
[[画像:Busan chinatown.jpg|サムネイル|right|[[釜山広域市|釜山]]の中国人街]]
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[[朝鮮]]への[[近代]]最初の中国人移民は、[[19世紀]]末に現れた。[[朝鮮半島]]に来た中国人の多くは、専門知識を有さない季節労働者が構成した。華人は、主として、海路で[[ソウル特別市|ソウル]]、並びに海の玄関口である[[仁川広域市|仁川]]に定住した。特に仁川では、1880年代末、朝鮮で最初の中国人街([[チャイナタウン]])が生まれた。
 
[[日本統治時代の朝鮮]]の主要対外貿易相手が中国であった以上ため、華人は、1920年代から、朝鮮の対外[[貿易]]において大きな役割を演じた。1948年、韓国の全輸出入取引のほぼ52%は、現地華人に属する会社により実施されていた。
 
[[1931年]]に中国の[[長春市|長春]]で[[万宝山事件]]が起き、[[朝鮮日報]]の「中国人による朝鮮農民への集団暴行、大量殺人」の誤報で同胞への暴虐に憤った朝鮮<!--(現韓国、現北朝鮮)読みづらいので-->人は[[平壌]]、仁川等、朝鮮半島各地および[[日本]]での華人街で排斥、集団暴行、殺人の暴動を起こした。これにより、多くの華人は家族、家財を失い、約1万人が中国へ帰国し、華人社会は壊滅的な打撃を受けた<ref name="レファレンスコード:B02030181500">[http://www.jacar.go.jp/ アジア歴史資料センター] Ref.B02030167000からB02030183200。特にB02030181500を見られたい。</ref>。([[朝鮮排華事件]])
 
=== 大韓民国の華人 ===
 
現在の在韓華人の大部分は、この事件の後の[[1945年]]から[[1950年]]の間に韓国にやって来た。当時、中国では、[[国共内戦]]が進行中であり、大きな難民の流れを生み出していた。主として[[中国国民党|国民党]]の支持者であった多くの華人は、韓国を含む国外に亡命した。これら難民の大部分は、[[黄海]]西岸に存在する[[山東省]]出身者だった。
 
当時、中国国党政権政府の同盟国であったため、中華民国籍難民の大部分は韓国に受け入れられ、国内居住の許可を与えられた。その一方で、[[民族主義]]的な[[李承晩]]政権は、華人が国内に留まり、根を下ろすことを警戒した。
 
韓国当局が1945年から[[1980年]]までに華人に対して行なった政策は、現在の韓国において、弾圧・制限的なものと評されている。華人の韓国[[国籍]]取得は、非常に困難なものとされ、在韓華人は、[[永住外国人]]([[華僑]])とならざるを得なかった。外国人である在韓華僑は、国家機関及び軍に勤務することができなかった。[[1961年]]の法律は、外国人の土地所有権を制限し、多くの華人農民は、急いで自分の地所を売却(あるいは、緊急に自分の韓国人妻か、韓国人の友人に名義換え)せざるを得なかった。華人は、韓国の民間会社、特に大企業への就職の際、大きな問題に直面するため、[[中小企業]]に甘んぜざるを得なかった。