「松平太郎」の版間の差分

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→‎生涯: 松平親似(1794年時点で39歳)を父とする出典は提示されていない。
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== 生涯 ==
幕臣・[[松平九郎左衛門]](150俵<ref>[[寛政譜]]にある松平親似の家。[[岩津松平家]]の末裔と伝えるが、寛政譜ではその祖は疑わしいとされている。</ref>)の子に生まれ、江戸の仏学者・[[村上英俊]]の塾に入門する。幕府では[[文久]]年間には[[奥右筆]]、慶応3年6月には[[外国奉行]]支配組頭となりこれを務めた。
 
[[慶応]]4年([[1868年]])1月に[[戊辰戦争]]が勃発すると、2月には歩兵頭を経て陸軍奉行並に任命され、[[陸軍総裁]]・[[勝海舟]]の下で旧幕府軍の官軍への反発を抑える役目を負うが、主戦論者だった松平は[[大鳥圭介]]や[[榎本武揚]]らと図って自らも抗戦に参加。江戸を脱出し、[[今市市|今市]]にて大鳥と合流、軍資金を届けている。その後[[会津戦争]]で敗れると榎本らと共に[[蝦夷地]]へ渡った。