「中国武術」の版間の差分

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[[Image:Shaolin-wushu.jpg|thumb|少林寺千佛堂の壁画]]
[[Image:Entrance (6168943847).jpg|thumb|嵩山少林寺]]
中国武術の起源は、漢王朝([[前漢]]・[[後漢]]。[[紀元前206年]] - [[220年]])の時代に黄河沿いに住んだ人々の自衛も含めた戦(いくさ)の為の教練から始まったといわれている。その後、間もなく娯楽の要素としてや健康法としても見直されるになった。現在、中国武術の門派は多種多様な民族に比例し数え切れない程存在する。そのそれぞれが自らの門派の起源に関する逸話を持っているが、自らの門派が優れたものであることを示すために伝説上の有名人や英雄に創始者を仮託しているものも多く見られる。最も有名な[[少林拳]]、[[太極拳]]について開祖伝説を記しておく。右の壁画は、[[松田隆智]]の著書『少林拳術羅漢拳』によると、「中国で発行されている『世界体育』に、壁画は元南京軍区副司令員の銭釣将軍が1917年から1921年にかけて描いたものであるという。」
 
;少林拳の開祖伝説
:[[河南省]][[嵩山]]にある[[禅宗]]の寺院である[[少林寺]]は武術の修行場所としても有名であるが、少林寺の武術の起源として、インドから来た[[達磨|菩提達磨]]が始祖であるという。菩提達磨が少林寺に来て禅宗の教えを授ける際に、少林寺の僧侶たちが体力が無くて精神を鍛えることが出来ないことを嘆き、体力を鍛える秘法、易筋行、洗髄行を授けた。その後洗髄行は失伝したが、易筋行を元にして少林寺で十八羅漢手という武術が発達し、これを元にして少林拳が出来たという。実際には菩提達磨が少林寺で坐禅をしたという伝説があるのみで、武術を授けたというのは後世に作られた逸話といわれている。
;太極拳の開祖伝説
:少林寺で修行した[[張三豊]]は、その後に[[武当山]]にこもって修行し、[[道教]]の吐納法(呼吸法)や導引術(心身鍛錬法)などを合わせた[[内家拳]]を編み出した、とされる。ただし、この逸話は、少林寺の武術よりも柔軟な体術を使い、より洗練された武術であるとの主張をしたいがために、伝説的な[[仙人]]であった張三豊を始祖とし、元少林寺で学んで更に工夫したという話を繰り入れただけの作り話であると考えられている。[[少林拳]]等が外家拳と呼ばれるのに対して、太極拳、[[形意拳]]、[[八卦掌]]等は内家拳(武当門)と呼ばれることがある。中国武術の全国的統一組織であった[[南京中央国術館]]の武当門の門長に[[楊式太極拳|楊氏太極拳]]三世の[[楊澄甫]]が就任しているが、後に各門派ごとの組織に改められ、武当門は廃されている。[[考証学]]の祖である[[黄宗羲]]が記した[[王征南墓志銘]]には、[[内家拳]]は[[北宗]]代の[[張三豊]]を始祖とし、[[王征南]]はその使い手であると記されている。その拳法の詳細を、[[黄宗羲]]の子息である[[黄百家]]が「内家拳法」<ref>『昭代叢書・内家拳法』上海古籍出版社,1990.(清代,[[張潮]],黄百家他編)</ref>に記録している。[[内家拳]]と太極拳、[[紀効新書]]の拳経との関係を考察する研究がある<ref>[https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=21182&item_no=1&page_id=13&block_id=83]「博士論文・養生武術の形成過程に関する研究/119頁〜131頁・第二項 内家拳法の技法と「拳経」及び太極拳との関係から」[[屈国鋒]](筑波大学人間総合科学研究科)、唐豪「少林武当考 太極拳与内家拳 内家拳」山西科学技術 2008年、林伯原「中国武術史 ― 先史時代から十九世紀中期まで ―」技藝社 2015年、笠尾恭二「中国武術史大観」福昌堂 1994年</ref>。その他、太極拳の源流は、河南省の陳家溝という村にあり、ここでは代々、陳氏の一族に伝えられている武術があった。古い武術、おそらくは同じ河南省にある少林寺系統の武術が狭く一族だけに伝えられる内に独自の発達をしたものであると言われている{{誰2|date=2009年5月}}。また、陳氏の武術には[[戚継光]]が著した『[[紀効新書]]』の「拳経」三十二勢から技法が採用されている。
;[[義和団の乱]]
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