「三船敏郎」の版間の差分

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*三船敏郎が主演を演じた『[[用心棒]]』([[1961年]]) は全世界で人気を博し、全世界の映画関係者の教科書的存在になった作品。この作品のコピー作品から、[[マカロニウェスタン]]という映画のジャンルが 生まれ、[[クリント・イーストウッド]]が一流スターの仲間入りを果し 欧州でサムライブームを引き起こした。
[[チェ・ゲバラ]]は『用心棒』に感銘を受け、桑畑三十郎の恰好までするほどのファンであった<ref>三好徹『チェ・ゲバラ伝』原書房{{Full citation needed |title=刊行年とページ番号が不明。 |date=2019-06-26}}</ref>。
*『[[マトリックス (映画)|マトリックス]]』『[[ボディガード (1992年の映画)|ボディガード]]』『[[スター・ウォーズ・シリーズ]]』を始め、影響を受けた作品は 数知れず、[[ブルース・ウィリス]]主演で『[[ラストマン・スタンディング]]』という題名で完全リメイクまでされている。
*[[アラン・ドロン]]は三船を『日本の兄』や『神のような存在』と形容するほど尊敬し、自らがプロデュースするブランドの[[香水]]「サムライ SAMOURAI」の香りのイメージを、「三船敏郎を基調とした日本のサムライ」とした。また、20世紀を代表する世界的な有名俳優である[[マーロン・ブランド]]も飛行機に乗っていた際、三船が同乗している事を知るや自分から挨拶に行ったというエピソードがある。
*1975年、『[[スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望|スター・ウォーズ]]』の[[オビ=ワン・ケノービ]]役のオファーを受けるも[[テレビ朝日|NET]]との番組出演製作契約のため断る。しかし、内容自体には関心を示した。『[[ジョーズ]]』のヒットで監督としての名声を高めた[[スティーヴン・スピルバーグ]]は、『1941』(1979年)の旧日本軍潜水艦艦長役のオファーを三船に出す。三船はこれを受けたが、作品の興行としては失敗に終わった。三船本人はスピルバーグ、[[ジョン・ベルーシ]]、[[ジョン・ランディス]]、[[ジョン・ミリアス]]ら「ミフネ・リスペクター」に囲まれ、気持ちよく仕事をした。その後、『[[スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還|スター・ウォーズ ジェダイの復讐]]』(1983年)では[[ダース・ベイダー]]の素顔となる[[アナキン・スカイウォーカー]]役をオファーされるが、これは断っている。ルーカスはダースベイダーの素顔をメイクでできるだけ三船に似せるように指示したという。なお、『[[ベスト・キッド]]』(1984年)のミヤギ役も断っている(代わりに出演した日系人俳優[[パット・モリタ]]は[[アカデミー助演男優賞]]にノミネートされた)。