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俳優業は、まず自身の役を得ることが、ひとつの大仕事となる。[[ハリウッド]]では、一般的に、主要な役はすべて[[オーディション]]によって選ばれる。まずオーディションで選ばれないことには、俳優としての仕事が始まらない。大物俳優もオーディションに参加し、ひとつの役を巡って数倍から数十倍、数百倍におよぶ厳しい倍率の競争を勝ち抜いて役を得る。大物俳優もそうしたオーディションへの応募を年中繰り返すことでひとつひとつ自分の仕事を得ており、それを止めると仕事がパタリとなくなってしまう。
 
俳優の中には、ある役で高く評価され人気がでる人も(ごく少数ではあるが)いる。大きく評価を受けた役を「当たり役」と呼ぶ。運よく類似の役が次々と出てくるようなことがあれば、その役をまわしてもらいやすくなり(指名してもらいやすくなり)、そうした"流れ"のようなものができて、役獲得の労苦を免れる日々を人生の一時期過ごす俳優もわずかだがいる。<ref group="注">流行している俳優ばかりに注目している一般の観客の側の印象としては、こうした幸運な例ばかりがやたらに印象にのこり、まるで全俳優の中でそうした人の割合のほうが多いかのような錯覚をしてしまうわけであるが、実際には、俳優の立場から見ればそうした役に恵まれる幸運な者はごくごく少数である。{{要出典|=|date=2016年10月}}</ref><ref group="注">似た役の仕事ばかり引き受けていると、イメージが固定してしまって他の役をまわしてもらえなくなる場合もある。[[マンネリズム]]に陥ってじきに観客から飽きられてしまうリスクもある。また作品のタイプというのには流行り廃り(はやりすたり)がある場合もあり、そうした役がら(人物)が登場する作品の流行が去ってしまうようなことになると、パタリと仕事が無くなっ途絶えてしまう。例えば時代劇番組が流行っていた時代には特定のタイプの侍ばかり繰り返し演じていれば仕事は続けられたが、時代劇の流行が去り、番組が次々と終了してテレビ番組表から消え去ってしまうと、打てる手がほとんどなくなってしまうのである(時代劇役者の苦境については、2014年NHK BSで放送された『太秦ライムライト』およびそのメイキング番組などで解説された)。
 
観客は舞台や画面に登場しなくなった俳優のことは忘れてしまい、その時々に画面に登場している俳優にばかり意識を向けるので、舞台や画面に登場しなくなった俳優の苦労にほとんど気付かないが、ひとりひとりの俳優の側からすると、観客から飽きられたり忘れられる状況になった時期に、人知れず苦労(経済的な苦労、仕事がない精神的な苦痛)を味わっているのである。{{要出典|=|date=2016年10月}}</ref><ref group="注">俳優が自分の生涯のキャリアを考える場合、ひたすら一定のタイプの役を演じることでそのタイプの役を演ずる俳優としては突出した存在になる策をとるのか、あるいはなるべく様々な役・異なった役を演ずることで世の流行の影響を受けすぎないようにして長く役者としてやってゆく策をとるのか、あるいはそれの中間的なところ(得意とする役がらが数種類程度ある俳優)を目指すのか、またその策をどの年齢、どのタイミングで切り替えるのかということは思案のしどころである。状況を総合的に判断したり、劇団(事務所)や先輩俳優のアドヴァイスなどを聞いて、極端にイメージが固定しまわないように、(無難な範囲で)意識的に様々な役、異なった役に挑戦する役者も多い。{{要出典|=|date=2016年10月}}</ref><ref group="注">また、主人公などを苦しめたり、いじめを行う等のネガティブなイメージのキャラクターが当たり役になると、俳優と役の区別がつかない視聴者から、俳優の家族やその親族にいわれの無い誹謗・中傷をされるなどの問題が発生することもある。{{要出典|=|date=2016年10月}}</ref><ref group="注">テレビの子供向けの、いわゆる「ヒーローもの」の主役を演じる場合でも、イメージが良い、というメリットは確かにあるが、視聴者に特定のイメージが強く刷り込まれすぎるので(そしてまた、シリーズは終了してしまい、繰り返しその役はもらえるわけではないので)、「ヒーローもの」に出演(主演)した俳優の多くは番組の終了後に、人々の心に強固にできあがってしまったイメージを払拭するのに(しばしば、かなりの長年月)苦労する、ということは、その業界ではよく知られている。プライバシーにもかかわる面もあるので無難な例として古いほうの例を挙げると『[[仮面の忍者 赤影]]』の主演俳優も、同番組の終了後(人々の心に残った凛々しいまでのイメージとはうらはらに)、俳優としては苦労が続いた。また例えば、「[[ウルトラマン]]シリーズ」で主役を演じた俳優たちも、その多くがその後様々な苦労を重ねた。{{要出典|=|date=2016年10月}}</ref>。
 
役を得た後の俳優の仕事の流れは、国、現場の種類、監督などによって異なっている面がある。[[香港映画]]では、しっかりした脚本が存在せず、あくまで監督の心に作品概略やアイディアだけがあり、俳優に事前に脚本が与えられず、主に撮影現場で監督が台詞を(思いつきで)与え俳優の動作を指示しつつ撮影を進めてゆくことが多い。インド・[[ボリウッド]]では、脚本がしばしば存在せず、撮影現場で監督の思いつきでストーリーが作られ台詞が与えられ、しかもボリウッド映画の定番である集団ダンス・シーンでは、ダンス担当監督が現場で自身の身体を使って手本を一度だけ見せ、主演俳優から多数の脇役(エキストラ・ダンサー<ref group="注">ボリウッドでは、こうした集合シーンのダンサーらは、当日の朝、撮影所で、まるで日雇い人夫が集められるようにかき集められ、撮影現場で踊り、日当を得る。だが、彼らは集合ダンスのプロであり、覚えがよく、一発でダンスを覚え模倣することができる</ref>)までが、それを見て一発で見事に模倣し撮影する、ということを次々と繰り返しつつ撮影が進む。日本では、上質の演技を行うために、通常は脚本が事前に渡され、俳優はそれを読み込み、[[役作り]]の上、打合せ、[[稽古]]、[[リハーサル]]などを繰り返すといった膨大な下準備を行い、その上で本番の演技を行う。